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手元の占星術の本が「魔女の家」という本からでている。
しかし、占星術に「魔女」というイメージがついていることはとても怖いことだ。
占星術はキリスト教会から迫害を受けてきた。おおっぴらにできない、日陰ものの学問・技術であった。
占星と天文学が分かれたのは、そう昔のことではない。ケプラーなどの時代はまだ分かれていなかったのである。科学という立場ができ、天文学と占星学を分けて、前者は科学的、後者は迷信ということになったが、それでも占星術の立場は楽になったのである。
確かに聖書には「占い、口寄せをするもの」という風に、占いに対して否定的な見方がある。しかし、占星術がここに言われている「占い、口寄せ」の類かどうかははなはだ疑問である。
また、占星術の表象がキリスト教以前の神の名前をもっていることもなるほど問題ではあろう。
しかし、だからといって、ここまで教会が占星術を否定する必要はないだろうと思う。
東洋の宗教は皆占星術を自分の宗教のうちに取り入れた。仏教しかり、ヒンドゥー教しかり、儒教しかり、イスラム教しかり。一応社会に認められた知者のすることだったのだ。現に救世主降誕のときに、三人のマゴスが星に導かれてやってきたではないか。
たぶん、そこまで西洋占星術が日陰者の存在に追いやられたのは異端審問および魔女狩りのせいである。占いは魔女の行いとされてしまったのだ。
日本では「魔法使いサリー」だの「魔女の宅急便」だの、まるでメルヘンの世界のもののように魔女が扱われている。
しかし、カトリック・プロテスタント社会の魔女狩りは、拷問と火刑と財産没収から成り立つ、キリスト教の闇の部分そのものである。白雪姫のお母さんが最後に焼けた鉄の靴を履いて踊らされるが、いったん「魔女ではないか」といううわさが立てられたが最後、魔女狩りの対象者となった人々は皆このような拷問を受けて火刑で死ぬことになった。その恐怖の歴史が占星術に「魔女」という枕詞を与えていると私は思う。初期の寛容なキリスト教の精神を持ってすれば、たとえ占星術がキリスト教のメインの考え方と相容れなかったとしても、「魔女」などという恐ろしげなものと結び付けて考えられる必要はなかったはずだ。
私自身も教会に出入りしていたのでずいぶん悩んだが、ある程度年をとって思うのは、要するにそれは間違った認識であり、いわれのない非難だということである。
占星術をそういう日陰者の存在から解き放とう。せっかく日本に上陸したのだから、坊さんも神主さんも使えるものは使えばいい。
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