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面白い、なんていったら被災地の人には申し訳ないが、とても面白い事が起こっている。
霊現象とか、占星術とかでは、毎度のことなのだが、科学的なことでは珍しい。
いわゆる科学的な人が、原発事故の被害を信じないのである。
私が見たところ、オカルトに批判的な人は原発事故の放射線被害も認めない傾向にあるようだ。あるいは事故の程度を過小評価する。
占星術ではよくあることだ。
殺人事件が起こりました。ホロスコープを立てます。犯人はこういう関係の人でしょう。そしてそういう人が逮捕される。目の前に事実はある。それでも科学的な人は統計的に不十分である、偶然である、デタラメであるという。
だが、それはたかが占星術だ。
私は占星術を擁護する立場にいるのだろうが、しかしその批判には慣れている。
人々もそんなことに目くじらを立てたりしない。
「あ、彼。占いにはまってるのよ」
「あの人はそういうの信じない人だから」
でおしまいに出来る。
しかし、全く同じ事が放射性物質の被害について起きている。
東日本の方で、食材や子供さんの遊ぶところとか、情報収集をして気をつけて生活していると白い目で見られるというのである。だんなさんがそんなに気にする必要はないというのだという。主婦のお友達に「うちは風邪気味です」と断ってマスクをしないといけない。
やってるほうは自分の子供の命に関わる注意をしているのだ。なのに周囲からは白い目で見られるのである。
だが、すぐにはその違いが表面化しないというのも事実だ。
東京の一部の土地は、空間線量だけで年間1ミリシーベルトの被曝をする場所があるらしい。ガイガーカウンターを持って計ればはっきりわかるのだから四の五のいうことはない。
次に1ミリシーベルト被曝して、あるいはもっと被曝して、健康被害が出るかどうかも、偉い学者や医者が「出ない」と言っているので、声高に主張できない。たとえ裁判所が過去に20ミリシーベルトの被曝でガンで亡くなった人に対して労災認定していようが、そんなことはお構いなしだ。学者の言い分は、100ミリシーベルトまでは大丈夫なのである。
心理的な現象として自分自身や他人に嘘をつくということは別に珍しい事ではない。よくあることだ。小さな嘘の上にできあがる行動・思考パターンはコンプレックスとして知られている。
また、目に見えない不確かなもの、お化けとか占いとかそういうものに対する態度の違いも、別に珍しい事ではない。
ちょうどそれが命に関わる形で人々を直撃している。
親がテレビしか見てなければ、当然親子で意見が食い違うだろう。とても仲のよい友人と意見が食い違えば、「今日のラッキーアイテム」なら笑って済ませられるが「静岡産のお茶」ということになると、険悪な状況になりえるだろう。
学者も一応はまじめに研究しているのだ。まじめに研究した結果、10人死のうが100人死のうが安全と言っている。事実は理論を覆す事はできない。
だが、まだたいしたことはことはない。健康被害がでていないのなら。
出れば出たでこうした傾向は増幅されるだろう。
ほかにこんな事を知っている人もいないだろうので書きます。
ギリシャのカテリーニで司祭さんと一緒に過ごして、信者さんのお宅に行って、そこで交わされた会話です。
それは1月のことで、前年にチェルノブイリ原発事故があった。
カトリックの聖パンは過越しに入ったという解釈でイーストのないものを使っていますが、ギリシャ側は焼いたのは過越しに入る前と考えていて、バターはいれないけど普通のパンが使われる。そこのお宅では、十字架の模様のついたきれいなパンを焼いておられました。
その話は、原発事故の前、ロシアで、ダニエル書で壁に字を書いたように、空に大きな手が現れて、メッセージを書いたというものです。信じるものは救われる云々だったと思うのですけど、記憶は定かではありません。
当時はロシアはソ連ですから、科学的社会主義であって、宗教は嫌われた。その一方でもともとのロシア人は敬虔なキリスト教徒だった。ルルドとか西側の奇跡は記事になりやすいけれども、東側の奇跡は記事にはなりにくい。ソ連当局もそんなことを取り上げるような状況ではなかったのだろうと思う。
黙示録の「にがよもぎ」のところをご覧になった方は、まるで現在の福島の状況そのままであることに驚かれるだろうと思う。私は変な終末予言を信じるつもりはないが、何かのメッセージであるような気もする。
実のところ私は自分の人生でアップアップだ。余裕なんてない。
いつまでも東日本の皆さんの心配までしていられないよ・・・
そうであるにもかかわらず、毎日いらいらする。
臨床心理学のスコット・ペック氏が「平気でうそをつく人たち」の中で、
「嘘に直面した時に人が感じるものは混乱である」
という意味のことを仰っている。まさにそれだ。
原発事故は、社会的なものとしては、私が人生で経験する最も大きな嘘になるかもしれない。
今一番いらいらするのは健康被害である。
誰も健康被害が起こると前提していない。
政府もしていない。東京電力もしていない。農家もしていない。都道府県もしていない。メディアもないものとしている。病院や厚生労働省がどうなのか。少しの良心的なお医者さんはおいでになるようだが・・・
だがまあ、いいわ。誰もが広島の近くにいたわけじゃない。
そして因果関係は立証できない。
このドラマでは必ずコロンボは負けるのだから。
広島でもわれわれはだまされた。チェルノブイリでもだまされた。初めてなら、嘘も簡単にばれるかもしれないが、前のデータもその前のデータも嘘なのだ。以前に記事にした先生がいい例だ。広島に行った。死んだ。因果関係はない。被爆者手帳もない。
だが、人々は広島に行った人があんなふうに死ぬとみな知っていた。当時は。
何から何まで嘘だった。テレビで著名人たちが言った。
「あれだけの地震が起こっても炉は大丈夫だったんです。」
ところが2ヵ月後炉は津波到来前、地震で壊れていたと発表された。
原発は核爆発しないといっていた人もそうだ。水があるから大丈夫だ。制御棒が入ったから大丈夫だ。ウランの割合が核爆弾と違うから大丈夫だ。絶対爆発しない。目の前にきのこ雲を見ながら、著名人たちが散々繰り返してきた。
ところがその意見ももっともらしく断言する。
お前は少しは核爆発のことを調べてから発言しろ。
原子炉の基本的な仕組みぐらいわかってから言え。
そして散々調べて、実は使用済み燃料プールにはプルトニウムが10%以上含まれた燃料が保存されていたとわかる。チェルノブイリも公式の発表とは裏腹に、批判的な学者は核反応による爆発であると考えている。私たちは何も知らなかった。
「馬鹿にはわからないだろうが、安全なのだ。ちょっとぐらい勉強しろ。」と先生方はいう。
混乱する。当惑するのだ。ああ、勉強不足ですか。ちょっと予定が押すけど、もうちょっと調べましょう。調べる。一向にわからない。そして一月もたつとそれを覆すような事実が次々明らかになってくる。
その頃になってくると、「絶対大丈夫」と言っていたテレビが「政府は隠蔽していた」などと言いはじめる。
そう、今もっている連鎖反応の知識もほとんど小学校の中学年ぐらいのときの知識だ。あのころは何でも吸収できたのだ。
だが、若いときに見た。
通常の人間、ある程度教育を受けた人間でも、空間の中に原子がある云々という世界観から抜け出ることはむずかしい。
だが、見てしまえばそうでないことがわかる。なぜ昔の人間が神といったのか、何が言葉なのか、そういうことがわかってくる。
最初、混乱する。おそらく通常の世界観の理論を知っていれば知っているほど混乱する。
その後の人生は両方の橋渡しをすることに費やされる。両方正しいという前提で進めるほかはない。
半減期が数十年、数千年という放射性物質がある。
簡単にいうと毒物である。
だが、本当にそれは解決できない問題なのだろうか。
多くの人は、いわば人間が非常に高次の物質と関係しているということを知らない。自分は物質だ、と考えたことがないからだ。物質というような単純な言葉でいえるようなものではない。
あらゆるものには、必ず聖霊が働いている。一般的にはそういう知識はない。
そこで放射性物質だが、非常に恐ろしい物質ではあるが、たかが物質である。人間の作ったものだ。
神がお許しにならなければ、この世界に存在することはできない・・・たわごとに聞こえるだろうが・・・
聖霊も必ず働いている。神から地上に伸びるはしごの一定の場所に許しを得て存在している。
だから、何とかなりそうな気がするのだ。
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