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で、ここのところ、お問い合わせの中で、聞きたいこととは別に、記事の地元です、というお声を聞く。
ここのところ、何件かそういうことが続いた。
地元のうわさと一緒ですとか、そういう反響をいただくのは、喜んでいいことかどうかはわからないが、ちょっとは人様の役に立っているのだろうか、と、少しほっとしている。。
メディアや法律が取り上げない真実もあると思う。事件が解決しても記事にならないこともあると思う。
そういう場合でも、地元の人は、報道されたり裁判にならなかったりしたことを知っていることもある。
私も普段そんなにテレビを見るというようなこともないのだが、今年は正月時代劇で殿中で田沼意知が切られる事件の報告書の作成を下っ端の武士が命ぜられて、結果的に陰謀を知ってしまうみたいな番組をやっていた。
だけど、ありゃドラマですよ。まあ、ないだろうね、実際には。
現実というのは、真実があったとしても、立証できるか、法律的に問えるか、であって、そういう真実があるかどうかじゃないもの。江戸時代はあんなことができたんだろうかね。
あけましておめでとうございます。
旧年中皆様には大変なご厚情をいただき、厚く御礼申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
この年末・正月は、実家へ足を運ばなければならないと分かっていたのだが、実家もせかすし、年末年始は天気が荒れると聞いていたので、予定を早めて実家に行っていた。
おかげさまで昭和38年以来という豪雪を体験することになった。別に占ったわけではないのだが、予想は当たって交通機関の乱れに影響されることなく、実家に行くことができた。
昨年は大河ドラマが坂本龍馬であったということで、猫も杓子も龍馬だったらしい。実家の連中はテレビが楽しみなので、今年の大河ドラマの江の宣伝とあわせて繰り返しやっていた。
だが、次に期待される英雄像というのは、坂本龍馬でもなければ織田信長でも徳川家康でもない。
平将門や藤原純友のような人である。
学校で日本史を習っているときに、口分田、荘園、宋銭の輸入といった事柄がぴんとくることは多分あまりない。
唐との戦で民衆は防人として九州に借り出され、この兵士たちが残した歌が伝わっている。続いて律令制度が整えられ、国民一人ひとりに決まった面積の田畑が割り当てられた。
考えようによっては歴史上まれに見る平等な時代だったといえるはずだ。ところがいつの間にか全国の土地、荘園と呼ばれているが、土地のほとんどが藤原氏によって所有されるようになる。
この時代、菅原道真の進言によって遣唐使が廃止され、純粋に日本風の文化が発達する。また、日宋貿易・日明貿易によって、中国の貨幣を輸入しなければならない状況になる。これも歴史を学んでいてよく分からない点で、貨幣を輸入したって、おなかいっぱいになるわけでも戦争に勝てるわけでもないような気がする。
だが、太平洋戦争から現代に至る日本の状況は極めてこのときに近いような気がする。史上まれに見る平等な社会。一億総中流の時代があった。ところが明治政府によって作られた公共の仕組みが民間に払い下げられ、いつの間にやら格差時代といわれるようになった。国民の富のほとんどが、この仕組みを崩すことの意味を知っている人々の手に渡り、若い人は貧困に苦しめられるようになった。その一方、JPOPやアニメのような国産の文化が世界を席巻している。日本の国自体は豊かであるのに、経済的な仕組みを外国に牛耳られてしまって、一人ひとりは苦しい生活を強いられることになる。
今世の中に必要な英雄の姿は、
「でっかい黒船を作って世界を見るがぜよ」
と言ってる御仁ではなく、
「もう外国はたくさん、それより、俺と一緒に戦えば、お前の財産と家族の安全は保障してやる。」
といってくれる人だと思う。
私は、言っちゃ悪いけど、熟年でそういう問題が起こるのはわかるような気はするのである。
このホロスコープはアップロードはしません。憎いとはいうものの、仲の悪いホロスコープじゃないような気がするので、このかわいそうなご家族については、あまり深追いはしないことにします。
ところで、その記事に関して見ているうちに、Googleの検索で夫を入れてスペースを入れるとおぞましい言葉が沢山ヒットすると聞いて、やってみました。夫と妻と両方ですね。
どこかの新聞だか雑誌だかもこれを記事に取り上げているようなので、あえていまさらなのですが、妻と検索する旦那は誕生プレゼントを検索してるのに、奥さんは嫌い、死ねなどと検索してるわけですね。
これが、ロスジェネより上の限定であって欲しいと思う。就職氷河期以降の人はだんなも楽に仕事に就けないから毎度家族をほったらかしということも家事の手伝いをしないということもないだろうと思う。
もし、愛し合って結婚したなら、片方の失敗は両方の失敗だと私は思う。
こういう悲惨な事件が起こると、離婚すればいいじゃないか、という人がいるけど、やっぱり簡単なものじゃない。結婚は財産を共有するという前提があるから、別れるとなれば財産分与とか養育費とか慰謝料とかいろいろある。ふんだくればいいとはいうものの、相手が持ってなきゃふんだくろうにもふんだくれませんからね。いくら相手に非がある、と思ったところで、必ず自分も反省するところがあるはずだし、法律の判断は夫婦の出来事の納得と必ずしも一緒でもないと思うんです。
しかし、なんか考えないといけないかもね、これは。
こんなに愛し合えないものでしょうかね。
一つは、沢尻エリカさんが高城さんとよりが戻ったらしいこと。
壊れなかったねえ。Viva占星術ですね。
もう一つは、舞鶴女子高生殺害事件の公判があったこと。
残念ながら、いま報道の内容は雲をつかむような話で、何が起こっているのかさっぱりわからない。
私は、星の上からは、多分中勝美さんじゃないだろうと思っている。
で、裁判ということなのだが、裁判というのは、何を争うかを決めて、それの是非を問うものである。
この場合、中容疑者に殺人などの罪がある、それが立証できるかを争うことになる。ビデオカメラの映像からそれがわかるか。中容疑者が別の犯人の名前を口にしたときに、その見た内容があっているかどうか、である。
だが、本当にそれで遺族の方、ご友人の方が納得できるだろうか。
被害者は、誰かと約束をして、楽しい出来事が待ち受けているかのように着飾って出かけた。途中で探しているものを発見したかのような楽しい書き込みをウェブに残した。
ということは、被害者は誰かと待ち合わせをしていたのではないか、訪問しようとしていたのではないか、誰かが呼び出したのではないか、中容疑者が犯人なら事前に美穂さんと面識があって、何かの形で呼び出したというような事実があるのではないか、動機はなんなのか、そういう問いに答えられて初めて納得できる真実だと思う。
だが、裁判ではそういうことは問われていない。裁判というのは、人間の心が受け入れられる納得とイコールではないのだ。
もっと事情を知っている別の人がいないとおかしいはずだと私は思う。
パソコン用のデスクの横に鏡、コーヒーの入った白いマグカップがある。
にも関わらず、目の前には小学校の音楽室がある。
白く、木の床、右手に窓がある。右前にピアノ。部屋の中央・視点の左には黒板がある。
右手の扉を出ればコンクリートの段があり、その横には砂場がある。
前にはプラタナスの木が生えていて、その向こうには道路が走っている。何年も歩いて通った道路だ。
この光景は今はないとわかっている。
この建物は取り壊され、私が卒業してしばらくして新しい校舎が建てられたからだ。
だが、あるのだ。どこにあるのか?なぜ私の目の前にある?
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