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ところが、爪や髪の毛はこうしたものに混ぜてはいけない。爪を切るときは縁側で切って、ごみと一緒に捨てないで、縁の下に落とすとか自然に土に返さないといけない。髪の毛も同様である。
爪や髪の毛を燃やすと葬式を連想する、というのもあるだろう。人体が焼けるにおいがするのだから。
しかし、だからといって残飯と一緒に田んぼに捨てるかと言うとそうでもない。爪は自然に土に返るようにしないといけないのだ。
親元からはすぐに離れたので、都会で生活するようになると、そんなことはいってられない。普通に捨てなければらない。だが、日本人の意識として、元来爪は他のごみと一緒にしてはいけないものなのである。
なぜか。
切った爪、髪など人体からでたものには、本人とつながりのある何らかの痕跡があって、それは本人の生活に影響しうると考えていたからに他ならない。だからこそ、ひとりかくれんぼをするときには人形に爪を入れるし、丑の刻参りをするときには、人形に呪う相手の髪の毛を入れるのである。それは、単に迷信ではなく、催眠術などでもそうしたことを確認するための実験があるらしい・・・自分はいろいろな材料でそう確信しているが、ご披露できるものは何もない。
だが、そういう視点で迷信や魔法の類を見直してみると、いろいろなものがつながってくる。
その方は、有名な方ではなく、他に仕事もお持ちなのですが、信頼してお願いしています。
基本的には私が占断依頼を受け、依頼者様の状況や質問事項の成否などを判断してお答えをしますと、キーとなるサイン(星座)や惑星が出てまいります。
サインと惑星がどの石に対応しているかについては、鑑定者と私は大まかな共通認識があります。
石の鑑定者には、相談者の依頼内容、私の占断内容などをお伝えして石を選んでいただくのですが、彼は彼なりの主体的な知識をもって石を選定してきます。
最初は怪訝に思いました。
往々にして依頼者は、仕事と恋愛のように、複数の悩みを抱えています。
今の時期は仕事だ、と言うような判断が成立する場合があります。それで石の鑑定者にそれを渡すと「石の上でも今は仕事だと言う判断が出ています」というような回答が返ってきます。
その上で恋愛と言うことだと星の上ではこれでしょうが、いまは仕事専念だからこちらにしましょう、というような判断が往々にして返ってきます。(※依頼された方で、これは私のことかな、と思われる方があるかもしれませんが、こういうケースは沢山あります。特定の方ということではありません。)
しかし、いま仕事だというのは私が占星術で判断したからわかるのではないか?
なぜ「石の上でも」という判断が成り立つのか。
鑑定者は一応私の判断したホロスコープは見ているのですが、それとは別の主体的な基準をもって、石を選定しているようです。
依頼者の気持ちに対して、ときどき彼のほうが正確な判断を下すことがあります。ちょっと悔しいような気持ちです。良し悪しですけどね。占星術は無駄に先のことが分かることもあるし。
本当は全部自分でわかるようになりたい。
それも、ただ単に、ある方法でもって選ぶだけではなく、確かにこうだという基準を自分で得たいとは思っています。ドン・ファンみたいに夢でそれを見ろ!みたいのがいいなと。
しかし、当面彼のほうが詳しいので、任せています。
石に関しては、できるだけ希望や状況を伝えていただいたほうが助かります。
人間は単なる死物の原子の偶然の集合体ではないし、目の前に見える世界は単なる物質の世界ではない。
命は神からくる。必然的に運命が働く。運命は命の法則、感情の法則なので、必ず働くのである。
そして、人によって、それぞれ微妙に違う影響を受け取る。
この違う影響を受け取るということが、人間を構成するものによって左右される。
それが、とりもなおさず、ある人が幸せであって、ある人が幸せでないとか、ある人が無事に結婚できて、ある人ができないとか、逆に浮気性だったり、身持ちが硬かったりとか、あるいは豊かであるとか、高い精神性を持つとか、そういうことだと考えられる。
ある人が、ある面において不遇を囲っている。たとえば貧しいとする。豊かになりたい。すると豊かさを受け取れるような自分の構成を持てばいい、ということになる。
そして、生涯を通じた、様々な経験や教え、勇気等を通じて、その資質が養われる。
ある人のうちに貧乏神がいて、この人は豊かになりたいがために貧乏神に聞く。いったいどうやったら豊かになれるでしょう。すると、貧乏神は次の正月に金神様、銀神様が通るから、前を通ったときに捕まえればいいと教えてくれる。そこでこの人が金神様に飛びつこうとすると、まぶしくて飛びつくことができない。次に銀神様に飛びつこうとするのだけれど、これも失敗してしまう。最後に通った神様にえぃっと飛びついたら、また貧乏神様だった・・・という話がある。
多分運が悪いと言うのは、自分が幸せを受け入れる体制がないのである。幸せな状態を思い描くことができない。さんさんと太陽を浴びようにも、自分に暗いところがあるがために浴びられないのである。
多分そういうことだと思う。多分。
パワーストーン、宝飾品、貴金属は、理論上は、そういう影響を補完するものでなければならないと思う。
ある一定以上の質量の貴金属があることによって、そういう影響を受けやすくなるのである。
だが実践はまた別である。できれば、「見る」ことができるに越したことはない。しかし、そうでなかったとしても、試行錯誤し、感じることが必要である。
これは、必ずパワーストーンでないとダメかと言うと、多分そうではないと思う。部屋がきれいにされているということ、音が鳴るということ、火の気があるということ、窓があると言うこと、違う人がいるということ、いろいろなことが影響する。しかし、一人ではなかなかこの運命を変えられない。部屋の汚い人は汚いことは十分承知しているのだ。
「パワーストーンなんてただの石ころ。誰が信じてるの?」
お決まりのように出てくる意見です。
そうまで言わなくても、本当に効果があるの?と誰しも思って当たり前かも。
今日、いろいろ整理の途中で、以前買った「ユダヤ人大富豪の教え」という本をパラパラ見てました。
幸せになるということ、金持ちになるということ、ビジネスをするということ、成功すると言うこと、それは大きなエネルギーを受けることだ、と言っていました。お金を自分のところにためて、ちゃんと流さない金持ちは病気になったりするというのです。
なかなか大富豪になったことがないから、分かりませんよ。
しかし、そうはいうけれども、何の幸せもない人生と言うのもない。それで不幸にある最中の人というのは、幸せな人の人生と言うのは想像も付かないことかもしれない。両親がちゃんといる、などということでさえ、かなわない人はかなわないので、しかもホロスコープにはそういう傾向がちゃんと出る。
人間と言うのは、神から流れ出るエネルギーをこの世に変換する変圧器か電球のようなものです。幸せになるということはその分神に近づくわけだから、当然大きな電気を受け取ることになる。
大きな電圧を受けるというのは、ある意味怖いことですよね。
大金持ちになった経験はないけれども、そのことは私も分かるような気がします。自分を人間の可能性に対してオープンにする。すると、思いも寄らないことが起こったりします。
それで少しパワーストーンの意味が分かったような気がしました。
言ってることが同じだから。
結局ある種の鉱物によって、当然ある意識状態であったら受け取れるパワーを受け取ることなのだと思う。自分はこんな人間になりたい、こうありたいというのがハッキリすれば、おのずと自分にあったパワーストーンがやってくるのかもしれません。
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