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アスペクトは星と星が作る角度で、この角度・種類や状況に応じて占星術上の判断を下すことになる。
ホラリーではメジャーアスペクトのみを使う。
- コンジャンクション(0度)
- オポジション(180度)
- トライン(120度)
- スクエア(90度)
- セクスタイル(60度)
- クインカンクス(150度)
また、アスペクトには接近のアスペクトと分離のアスペクトがある。
いま、太陽と月にアスペクトがあるとして、そこには多少の誤差が含まれてもいいのである。0度ぴったりでなくてもいい。
- 接近のアスペクトとは今から惑星が正確なアスペクトを作ろうとしている状態である。
例) 太陽がおひつじ座の10度にあって、月がかに座の5度にある。月が太陽に追いついて90度を形成する。 - 分離のアスペクトとは、惑星が一旦正確なアスペクトを形成した後、離れていく状態である。
例) 太陽がおひつじ座の10度にあって、月がかに座の15度にある。
またこの際惑星がサインをまたがって正確な角度を形成するのはアスペクトとは見なさない。
例) 太陽がおひつじ座の2度にあって、月がふたご座の28度にある。4度で正確な90度を形成するが、それは月が蟹に移動した後である。
星と星の角度の誤差のことをオーブと占星術では呼ぶ。ある人は出生図のオーブは6度であるという。ある人は惑星によって違うという。ある人は相性のオーブは5度までという。
インド占星術ではオーブを考慮しない。サイン対サイン、ハウス対ハウスの関係のみでアスペクトを判断する。
ホラリーにおいては、サインを移らなければ何度であろうとアスペクトは存在する。つまり理論上30度まではアスペクトが存在することになる。
しかし、実際の惑星の動きを考えた場合、難しい問題がある。これらは正確な状況は先々の細かい天文暦がないと判断できないケースも多々ある。
まず、サインをまたがる問題である。
1.実際のサインを形成するまでに惑星がそのサインを離れたらどうなるのか。
たとえば太陽がおひつじ座の29度にある。水星がおひつじ座の25度にある。この2つの惑星はコンジャンクション(0度)になるだろうが、それは両方の惑星が牡牛座に移動してからである。
こうした場合、ある惑星が後数度でアスペクトを形成すると分かっているとして、それが実際に形成されるのがいつになるのか、サインを越える前なのか後なのかはパッと見たときには判断がつかない場合がある。はたしてこれはアスペクトがあると判断するのかどうなのか。
次に逆行の問題である。
2.もし巡行していると仮定するば接近のアスペクトを形成すると仮定できるが、両方または片方の惑星が逆行している場合。
この場合にも2つの場合がさらに考えられる。
逆行する天体が土星などのようにわずかしか動かない場合、土星が逆行していても、月や水星のような足の速い惑星が追いついていくならば、いずれアスペクトは形成されるのである。
水星や金星のように大きく逆行する天体であったとしても、まもなく逆行が終了する留に近い状態なら、ちゃんとアスペクトが形成されるであろうことが分かる。
しかしながら、金星のように大きく逆行して一つ前のサインまで戻ってしまうような場合もあるのである。たとえば火星が牡羊の10度にあって、金星が牡羊の7度にあるとする。普通なら接近のオーブ3度のコンジャンクションである。しかし、金星は逆行しており何日か後に魚に入ってしまう。こんなケースに果たして火星と金星はアスペクトがないとするのか、あるとするのか。
3.もし巡行していると仮定すれば分離のアスペクトを形成しているが、惑星が逆行しているがために何日か後に正確なアスペクトを形成する場合。
例)冥王星が山羊座の3度にある。金星がおひつじ座の10度にあって逆行している。もし巡行しているとすればスクエアを形成して通り過ぎたところだが、金星が逆行しており、何日か後にスクエアを形成する。
この場合も、金星が逆行だと分かったからといって、必ずアスペクトを形成するとは限らない。5度のところで引き返して巡行に戻ればアスペクトは形成されないわけである。本当に正確なアスペクトを作るかどうかは暦をみないと分からない。暦を見た結果、正確に0度になる場合はアスペクトがあるとするのかないとするのか。正確な0度を形成しないならアスペクトはないとするのか。
古典的な占星術でも、こういう場合のそれぞれについて、いろいろな解釈が行われている。
しかし、今まで見てきて私は以下のように考えていいように思う。つまり
ホラリーで意味のある2つの表示星について、もしすべて巡行していると仮定し、月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の順に移動速度が速いものと仮定してアスペクトの有無を判断できる。
そのサインの中で接近のアスペクトを形成する状態になっていれば、実際にアスペクトが形成されるのがサインを超えてからだろうが、逆行していてそのアスペクトの角度に並ぶのが数ヵ月後になろうがどうだろうが、関係ないと考えていいように思う。
具体的には例の1、2の場合にはアスペクトがあるとし、3の場合にはないとするのである。
ただし、逆行には逆行の意味があって、物事の進展が遅かったり、マイナスの要因を含むものになったりする。しかし、結末はトラインの状態で逆行していれば答えはYESであり、スクエアならNOでいいと思う。
最近、以前に占った多くの皆様方から、占った通りにお仕事につかれたり、配偶者さん、彼・彼女のようなパートナーさんとうまく行ったり、新しい出会いがあったりというようなことをお聞きしてとてもうれしく思うことの多いこのごろです。
さて、運命について皆様方はどうお思いでしょうか。
個別に一人ひとりが持っているという風にお感じになっているのでしょうか。
たとえば、あなたが太陽で表されるホロスコープがあるとします。するとあなたは獅子座で表されますから、お相手様は水瓶座とその支配星の天王星で表されます。
あなたは公明正大な方である。あるいは社会的に名前のある、顕職についた方である。一方であなたは多くの人に囲まれており、独立して自分の考えを持つ人に惹かれてしまう。彼は一匹狼で取り巻きはいないけれども、周りが何を言おうが気にしない。アレキサンダー大王はたるの中で暮らす哲学者ディオゲネスに会ってただ一人彼のことをうらやましいと思った。
あなたが新しい人に出会う。相手は水瓶座である。すると、あなた一人では運命は成り立たないのです。そこで新しい人が出現するから運命が成り立つのです。
新しい人と出会った。この二人はうまく行くと見たとする。すると占いを聞いた人は攻めればいいのか引けばいいのか。強引に攻めたところで、相手が強引な人を嫌っていればうまく行かないでしょう。もし、おとなしくしていればそれがきっかけで仲良くなれることもある。つまるところ、こちらと相手がうまく反応しあうのが「うまく行く」です。
相手も重要な要素である。
あなたが職場で若く知性に満ちた異性と知り合い結婚します、という運があるならば、必ずあなたの職場に若くて、他のいろいろな点においてあなたとぴったり合う異性がいなければならない。そして、なぜかその人はあなたと上昇宮が関わりあっていたり、土星がアスペクトがあったりするのです。
また、誰かの人の星を見て配偶者やご両親やお子さんなどの運が分かるものです。
たとえば親が離婚を危惧されるような星を持っているとします。もしご両親の結婚がうまくいかなければ、お子さんのホロスコープはきっと片親に育てられるという星になる。もし親御さんなり周囲の人が努力をしてそういう運勢が改善されるなら、子供さんのホロスコープはきっと安定したものになる。その場合離婚するかもしれないというトラブルがあっても、多分解決する。
他の占いをやっている人もそう思っているだろうと思います。
運命は個人だけのものとは違うと思います。
世の中には何かしら運と呼べる流れがあって、たまたまその流れのなかで、一人の人が一定の位置を取る。
世界は踊っていて、あなたも必ずその中で踊らないといけない。
理性は世界の現象を傍観できると前提に思っていて、科学はその延長線上にある。自分は踊らなくすむと思っている。
踊らないで世界を知ることはできない。運命を実験室で知ることはできない。純粋な傍観者を仮定することはできない。あなたがそこから逃れられないから・・・。
音階はドレミファソラシドと聞こえる。ピアノの鍵盤でイメージするのは、ひとつの線の上で繰り返す規則である。
しかし、実際には音階は周波数の比率である。音さのラの振動数が440Hzなのだが、880Hz、1760Hzのように倍になると1オクターブ上のラになるのである。
音階は連続しているが、和声は周波数が一定の整数比になる場合に感じるものである。ただし、多少の誤差はあっても耳には和音として聞こえる。
ギターを弾く人には分かりやすい。
ギターの弦長は普通630cmである。半分、つまり315cmのところに胴があって、そこがちょうど一オクターブ上である。
420cm、2/3のところが5度である。たとえばミの弦だとすれば、シの音がなる。
音程が一定の周波数の比率と関係があることは昔から知られていた。しかし、それでも音楽理論は周波数の比率を基にするのではなく、一オクターブの分割をもとに構築される。純正率がどうだといったところで耳で聞くときにはドレミで理解するのである。分割の数は国によって違う。西洋では12だし、インドでは22であるが、理解が分割であることに違いはない。だって、耳で聞いたときには周波数比ではなく音階に聞こえるのだから。
漠然とであるが、今日ふと思いついたことがあった。
トライン、星と星が作る120度の角(アスペクト)がある。
スクエア、星と星が作る90度の角(アスペクト)がある。
アスペクトには誤差(オーブ)がある。誤差範囲内なら、アスペクトが成立する・・・
トラインが5度音程、スクエアが4度音程に似ているような気がする。
4度音程で弦を鳴らすと、いかにも不調和に聞こえる。5度音程では調和的だが、平行五度は良くないし、5度音程は味気ない音程である。3度音程、6度音程などが混ざるから、美しく聞こえるのである。
星はずっと回っていて、サインは順番に牡羊、雄牛、双子と続いていく。しかし、内的関係にあるのはそれぞれの星が特定の角度を形成する場合なのである。
占星術と音楽ってなんかよく似ているような気がする!
ピタゴラスが代数、幾何学、音楽、天文学を学問の基礎にしたことは知られている。
この場合の天文学は、当然、現代の天文学ではなく、占星術のことだと考えるべきだろう。
私自身も、そういう原理が何かあると思って占いを勉強してきたわけだが・・・
私は統計ではありません、象徴です、とお答えすることにしています。
しかし、象徴とは何かをご説明していないので、何のことやら分からないというのが、本当だと思います。
黄道12星座、十二支、十干、九星等はすべて循環する数字や生き物などでできています。
しかし黄道12星座だとどうしても実際の天空の位置におひつじ座があるのかとか、そこから何かの影響が発せられているのかというような議論になりやすい。
そこで、九星盤で先に説明しましょう。なじみのない方もおいでかもしれませんが、新宿の母さんなんかがお使いになっている占いですね。
高島暦なんかを書店で買いますと、八角形の盤に漢数字で九つの星が書いてあります。一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土製、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星です。ですが、こちらはエクセルですので、簡単に9つの数字とします。上の盤の並びが基本の並びで、いわゆる魔方陣ですね。
あなたが九紫火星の生まれだったとしましょう。すると盤は上の2つ並んだ盤の下の盤のようになります。
九紫火星の年は、真ん中の星が五黄から4つずれて、九紫が中央(中宮)になっています。その年には、五黄は下の真ん中(坎宮)に位置しています。大体坎宮にその星が来る年はその年の人にとって厄年になっています。33とか42とかです。それだけで一概に言えませんが、経済的な困難などが起こりやすい位置です。占い師さんはこういう盤を見て、「ああ、あなたは今経済的に問題がありますね」などと教えてくれるわけです。
ここで、九紫火星というものについて、九紫が中宮に来たから、九紫火星の年だというわけですが、考えようによっては五黄土星が坎宮に来る年が九紫火星の年だということになりますね。
そもそも九紫火星とは何かと考えると、こういう配置になっているときが九紫火星である、とも言えるのです。数字を書いた饅頭が9つのあって、一個食べてしまえばなくなります。しかし、運命においては、突然一つかけて八つになったりはしません。九個の並び方がイコールその星なのです。
じゃあ、坎宮に五黄があります。この五黄がそもそも九つの星の並びで五黄が真ん中に来ているようなものを表しています。
ある一定の状況にある盤が鎖のように他の盤につながっていて、世界のどこにでも九星盤を見つけることができるはずなのです。しかもその盤は生きていて、時間とともに動いているのです。
占星術の場合、なまじ実際の惑星の位置を反映しているし、サインも春分点からの位置を反映していて実際の天空に場所を割り当てることができるので、何か惑星からまっすぐにあなたに光線が発射されていてそれが運命や性格に反映しているのだと考えたくなります。
しかし、私はそうではないと思う。
射手の上昇宮の人は、多くの場合第5ハウスに牡羊が来ます。すると、勢い映画などでドンパチ大好きということになるでしょう。何か射手座という決まったものがあると考えるのではなく、そういう配置が、そもそも射手座であると考えるほうが正しいと思います。
ホラリーというような、質問があったその瞬間の天空の図で質問に答えるというようなことがなぜ可能なのか、の答えもここにあると思います。物事は必ず一つのホロスコープであらわせるのだ、と考えてしまっていいと思うのです。
このときに、無限に続くもの、時間的にも空間的にもレベルや粗大さ細密さにおいても、ずっと続いている一つの生命活動の、一つの局面を表したのものが象徴だと考えるべきだと思います。
射手座は象徴です。
いて座は体においてはお尻かもしれません。高速道路かもしれません。スポーツ選手かもしれません。外国かもしれません。大学かもしれません。あらゆる事象のあらゆる局面において、どこかに射手座を位置づけることができる、とすべきです。
世間一般の人の見方というものは、占星術を信じる、信じない、云々ではあるが、占星術の世界に入ってしまうと、実に様々な占星術が存在している。
人によって、西洋占星術とインド占星術は違うという人もいる。
現代占星術、古典占星術、さまざまなことが言われている。
私自身はこう思っている。
神は、とても法則が少なくてすむ。
神・父の御意志は必ず実現する。
聖霊の意志は父のご意志そのままであって、生命そのものである。
子の意志は従順そのものであるが、神・子には生まれるということがある。
世界には多くの法則が働いており、真実は隠されてしまっている。
しかし、星は比較的少ない法則性の世界を表している。単純な、2、3、4、7とか12とかの法則に世界は収まるべきなのである。無限に多くの種類の人間など存在しない。元素において周期表が発見されたように、人間も一定の規則に納まるべきだと私は思っている。
したがって、占星術師は12なら12のシンボルをフルに使ってこの世に当てはめて、この世の事象を解釈したり予測したりすべきである。
そのためには、ハウスとサインを大事にしなければならない。
アスペクトがそれに彩を添えており、私も先達の発見した法則を生かして判断を行っていくが、アスペクトだけではここのサイトで行っているような未解決事件の犯人象を浮かび上がらせるというような占断を行うことはできないのである。
世の中の占星術師の皆さんはサビアンというやり方をされているようである。
サビアンというのは、360度それぞれに意味を割り当てるやり方である。何でも霊能者にそれぞれの意味を簡潔な言葉で表せるように見てもらったそうである。
それは、正しいかもしれないし、意味があるのかもしれないが、私は当面やらない。
360のシンボルをそれ以上深めることはできないように思えるのである。たとえば、一応詩的な言葉でふたご座の1度と2度が定義されていたとしても、ではその1度と2度の色の違いは何か、体の部位に当てはめた場合どこか、場所ではどこを象徴するか、天候は何を象徴するか、というような意味を割り当てていくことは不可能に近いように思えるのである。360が易のように八卦から派生したようなものであればいいかもしれない。12と何かを掛け合わせて、インドのナバムシャか東洋の九星のように細かい単位に割り当てるというのならわかる。
しかし、サビアンにそういう内容があると確認することはできていない。
変な話だが、占星術そのものには意味がないといってもいいかもしれない。あなたは3日目に不幸が起こるでしょうと告げたとする。しかし、告げようが告げまいが、起こるものは起こるのである。私たちは運命を受けてたたなければ仕方がないし、神はきっと私たちのためにいいことを考えていてくださる。
にもかかわらず占星術があるのは、その法則性の理解のため、人間の高慢を戒めるため、高次のものに自分を開かせるものであるべきだ。そのためには、占星術は単純でなければならない。
そういう意味で、私は最終的には東洋の占術も西洋の占術もインドもアラビアも最終的には1つのものに帰するべきだと思っている。
そういうことなので、私は自分の全力で判断するようにするので、あれこれができなかったとしてもご容赦いただきたい。
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
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