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世界は思考によって固定される。
どこかの時点で、私たちは世界がこのようなものである、と学び、それを固定する。その結果リアルな三次元の世界が出現する。
このリアルな三次元の世界は、誰でも同じように形成するのである。
そのため、そのリアルな三次元の世界が、リアルな世界であると私たちは思っているが、そうではない。
たとえば、もしあなたが犬であったらどうか。
犬は人間ほど色が認識できない。目で認識できるものはそれほどリアルではない。
その代わり、人間に数百倍する嗅覚と、鋭い聴覚を持っている。
また、思考を持っていない。その代わり感情を感じ取ることができる。犬は敏感に人間の気持ちを感じ取る。思考を通していないはずである。だから犬の反応はダイレクトだし、人間の態度が一貫していれば犬は裏切らない。
犬の現実の世界は人間が認識する三次元の物質世界と一緒ではない。犬にとってリアルな世界は人間にとってリアルな世界とは違う。実は人間が認識するリアルな世界があって、犬がその一部を認識しており、犬の世界はリアルでないと考えるのは人間のエゴである。犬にとってはその世界がリアルな世界なのだ。
人間の世界が出現するためには、あなたがその世界が作られることを意志しなければならない。
人間はそうしているのである。人生のどこかで、私たちはそうすることを選び取ったのである。
そして、私たちの通常の生活で生み出されるエネルギーはその世界を維持することに費やされるため、他の世界を認識する可能性は閉ざされてしまう。
この、われわれが加担して、我々の知らない力、意志を使って、世界を紡ぎだしているということが体験的に納得できて、初めて夢や霊能者の現象と言うものが矛盾なく説明できるのである。
非常に優れた霊能者というものは故人を霊視して、「この方はおそばを欲しがっています」などという。どうしてそれがわかるかというと、その姿をした人がそばを食べているのが見えるのだという。
しかし、霊能者がそこにそれが見えるからといって、死んだ人がそこに座ってそばを食べているということがあり得るのだろうか。違うのである。現実を作り出して視覚化する能力をそもそも人間は持っている。
ここで2つのことがある。
ひとつは死者からのメッセージ、あるいは通常の人間が感じ取ることのできない微妙な感情、アストラル体のメッセージを受け取るということである。
もうひとつはメッセージを視覚化し現実化する能力である。
ただメッセージを受け取っても、それを視覚化しなければ、それは単なる勘だったり寒気だったりする。
霊能者であっても、この世のこだわりのある人は、必ずこの世の形に像を結ぶ。それがいいこととも限らないかもしれないのである。寒気だけ感じると言う現実、何も感じないし存在しないという現実、そこに座ってそばを食べていると言う現実、全て現実と考えるべきである。
夜眠るときに、こうした世界を作る能力は開放される。そして、昼間私たちがそうしているように「世界はこんなものでなければダメだ」という縛りから開放される。そして人は往々にして意味のある夢を見ることになる。
夢がコントロールできると言うことは意志の発達からくる副産物である。
橋本先生を擁護する記事を書いていて、自分は四柱推命も奇門遁甲もやらないのに、なぜそんなにこだわっているのか、と考えてみると、結局それは占いが象徴でありミクロコスモスだからである。
それで過去の記事を見てみると言いたいことは大体言っている。
象徴 象徴(2) コスモス 運命の相対性
しかし、ここはブログという媒体の性質上、アドルフヒトラー総統の原則に従うのが正しい。即ち
「嘘も100辺言えば真実になる。」
言いたいことは何度でも繰り返せ、ということだ。
占いはある意味決して当たらない。
占いの象徴が表すことをこの世の言葉に完全に変換しきることはできないからだ。
統計的な検証は意味があるが、それは統計的な検証であって、実は占いは統計ではないのである。
当たるも八卦、当たらぬも八卦というのは、言い換えればぐうの音も出ないほどとことん当ててやろうということだと思う。
平川出版社の「魔法修行」の中で、W.E.バトラーが生命の木に関して指導をしている。身の回りのあらゆるものをセフィラ、木の節となる円だが、それに結び付ける作業をさせている。私自身はカバラで自分を訓練したことはないが、占星術で言うならば「山羊座」と聞いたときに、浅黒い肌、膝、農産物、畑、働く人、冬、黒や茶色や濃い緑、実家、不動産、栄光・・・というような象意が思い浮かび、具体的な事象と結びついて考えられるかどうかなのだと思う。そして、それは地のカーディナルサインであり、一つのホロスコープから分割派生して出てくる意味合いである。
それで「今度就職するところは、近くに農地があるかもしれませんよ」というと驚かれるわけである。
そしてホロスコープの一つの盤は、あらゆる事象に当てはまる。車のエンストからお仏壇の線香の灰の残りまで、全て結び付けて考えることができる・・・はずである。
占い自体には本当は大した意味はないのだ。占いは占っている人を開かせるための向こう側にかかるはしごにすぎない。「山羊」と出たときに、本当なら第二の注意力でもって目の前にある光景が思い浮かんでくる、というのが正しいやり方なのだろうと思っている。
四柱推命でも、多分占星術もそうなのだろうが、きれいに出来上がりすぎていて、占いをやっている本人がどうやってそういう占いができたのか注目していないのではないか。
橋本先生だってたいしたことは言っていない。五行生剋で相性がいいですとか、天命殺みたいな時期にあたってましたとか、巷の占い師と一緒といえば一緒。だが、それでも常人が想像も付かない占断というのはあり得ると思う。
時間が分からないとき、西洋占星術の古いやり方では太陽のある場所を第一ハウスとしてホロスコープを作るというものがある。インド占星術では第1ハウスに月を持ってくるらしい。
仮に太陽が双子にあったとする。
上昇宮を元につくったホロスコープにおいて太陽は他のハウスにある。たとえば、第3室にあったり、第5室にあったりする。
第1ハウスが双子だということは11ハウスに牡羊であり、他社とのかかわりにおいてとても積極的だということを示す。つまり、太陽が双子だということは、やはり太陽を中心としたハウスシステムにおいて11ハウスが牡羊であるということなのか?
こうして一つの円の中に複数のハウスシステムを書き込んだとする・・・・何かに似ている。
四柱推命のような東洋の占いに似ている。
上弦の月。もし太陽を第1ハウスに持ってきたとするなら、上弦の月は必ず第4ハウスに来る。
トラインであっても、太陽から離れるトラインは第5ハウスになり、太陽に近づくトラインは第9ハウスになる。
つまり、太陽を中心としたハウスシステムがあり得るのなら、アスペクトはすべてハウスと同じ意味になってしまう。
そうすると、ハウスとサインとアスペクトの象意上の境界はなくなるのではないか。
そう考えると、なぜ有名人にTスクエアが多いのかも分かるような気がする。月を第1ハウスに取れば、太陽のスクエアがあるということは第10ハウスに太陽があることになるから、出生図のスクエアは耐えることができれば歓迎すべきものなのかもしれない。
この場合父親的な力、職場の苛酷な状況、衝突がその人の力を伸ばすことになりそう・・・に思える。ほんとか?
占星術に心霊写真は普通関係ないですわね。
なんで、心霊写真でしょう。
しかし、世間の皆さん方は、占星術、占い、オカルト、心霊現象十把ひとからげで、どうしてもなんか視野に入って来てしまうんですよね。
私は霊能者ではありませんが、占星術にだって様々な前提がある。
まず、科学が正しいとしましょう。
すると、写真と言うのは、特殊な塗料を塗った紙が光による化学反応で模様が浮き出たもの、ですよね。
でも、私たちはそのただの紙切れを見て、昔を思い出したり、写った人への思いを募らせたりします。
科学的な観点からすれば、紙切れそれ自体には意味はなく、私たちが主観的に意味を与えているのです。
写真を見て、顔らしいものが写っていた。それは光のしみだ、いや顔だというわけですが、ちゃんと写った顔だって光のしみであることには変わりありません。
どこかの断崖絶壁で身投げした人がいて、写真を撮ったら単なる光のしみが映りました。でも100人中80人が怖いと感じました、とします。じゃ、心霊写真でいいんじゃないですか。科学的にみて、なんのうそがあるでしょう?
では、いったい心霊写真とはなんでしょう?
やはり思うに、アストラル体的な、あちら側的な、思念が残っていて生きている人を構成するアストラル体的なものに対して働きかけをする、ということが重要です。無念さ、悲しみ、苦しみ、そうしたものが残っていて、時と空間を越えてみている人に取り付くのです。
だから、別に無視できれば無視すればいい。ご聖水をかけてなんとかできればそれでもいいでしょう。
私はキリスト教の言葉しか知らないから、この世を構成するものを神の言葉といいます。エネルギーと言ったり、オームといったり、マーヤといったり、いろいろな言い方があるのかもしれません。ものじゃない。生きたものです。
一般に霊能者と言われている人でも、多分世界がものではないという前提がないのだと思う。だから、霊があるかないか、というような議論になる。何か不思議な、普通の人が見ることができないなにかを見ても、それを「もの」として受け取る。具体的なものとして解釈してしまうのだと思う。
私は幽霊を見ない霊能者がいてもいいと思う。
お釈迦様も、霊が存在するから転生するとは仰らなかった。依存するものがあるから、生まれ変わるのであるとだけ仰った。
世界が生きたものであるので、そこにはエネルギーが残り得る。怨念、恐怖、のろいです。日本ではわら人形が使われるけれども、西洋・オリエントでは蝋人形ですよね。その中には、相手の髪の毛だとか体液だとか、とにかくアストラル体的に相手につなげられるものを入れるのがいい。そして、相手が意識が肉体から離れやすい夜半に、それに苦痛を与えるのです。
それらは占術と関係ないように見えるかもしれないけれども、そうでもない。
東洋の占術では、恨まれている、生霊の難があるという盤面がある。多分ホロスコープでも土星や天王星、冥王星などが関係するのだろうと思う。多分、これは心霊写真か?というホラリーを作ればそれなりの結果が出ると思うのです。
実際殺人事件のホロスコープで被害者は圧倒的に天王星です。また詳しくは知りませんが、蝋人形を作るときには、相手を表す星と土星が重なるときがいい、という決まりごとがあるらしい。
知恵袋なんかを覗いていると、様々な占い師さん、霊能者さん、回答者さんがいます。
そうした中にはこの人どうなんだろうと思う人もいます。
一番ひどいのは、明らかにだましている人。
全員に同じ回答をコピーしていたり、男女問題と分かるが早いか「最悪の相性です」と書き込む人。でも、この人たちは、ちょっと注意していればすぐにデタラメだと分かります。
それから、占い師は比較的簡単です。
その人がホロスコープで占っていると分かれば、星の配置は一緒な訳だからあとは解釈の違いですもの。
そんなに大きなブレはないはずだし、あったとしてもよく調べれば納得できます。
むずかしいのは霊能者さんですね。質問者が何も書いてないのに、何かの答えをする。霊能だから何が根拠でそういっているのかわからない。あなたの前世は~ですなどと言われても、普通の人には確かめようがない。
それから、霊能者さん同士いがみ合っている方もいる。あいつは偽者だとかですね。
カトリックの信者さんでありながら、あなたの守護神は観音菩薩ですとか言っている方もおいでになって、主がお怒りにならないかなと思うのですが、しかし、そういう私もそうとうはみ出し者であって、人様のことは言えない。ちゃんとそのように見えているのかもしれない。
そういう方々が種々雑多なことを仰っている。あるいは私が皆さんに申し上げることもそうかもしれない。3Tの野郎、こんなことを言いやがった。ほんとか?
霊能者の皆さんが何か仰ったとして、その真偽が疑わしいとき、私たちには確かめる方法がない。
かなり怪しいところがあったとしても、多分その人の霊能自体は0ではない。100%嘘だと言うことでもないと思います。しかし、そういう100%嘘でもないけど、なにかいかがわしいと言う人はどうしたらいいのか。
いったい何を信じてどう行動すればいいのか?
そのことを考えていたときに、ふっと、その答えに昔行き当たっていたことを思い出しました。
非情さ、Apathia、こだわりのないこと、内的な冷静さ、自由ですね。
占星術をやったとしても同じで、それに対して依存的な関係を持つことは避けなければならない。恐怖を元にやってはいけない。結局未来についての情報があるということは、それに対しての恐怖や期待があるということです。
恐怖というのは、蛇や暗闇の恐怖ではなく、自己への憐れみに起因する恐怖であり、欲に催された恐怖です。あなたは明日不幸な目に遭いますと出た。ずっと恐れ続けている。こういう関係は良くない。そこのキーは実は占星術や霊感ではなくて、恐れなのです。
欲得のない状態と言うのは、損失を悲しむ理由がないから憐れみがない。透明です。非情ではあるが残酷であるわけではない。その独特の感情の状態が存在する。その独特の状態において、思考は沈黙する。世界は透明になる。
その状態からだと霊能力はないかもしれないし、他人さんをびっくりさせるようなことを口にするわけでもないけれども、滞りなくすべき行動ができる。いかに霊能者であろうと、普通の人は他人さんの恐怖や期待に働きかける。だが、そうした気持ちを乗り越えてしまえば、相手はすごい能力を持った人かもしれないけど、正しく判断することはできると思います。
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