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やっぱり気になるものではある。
自分がポータルにしているサイトのトップ、たとえばYahooさんならYahooさんのトップに
~座 62点 10位
恋愛運 ★★★☆☆
仕事運 ★☆☆☆☆
みたいなのが出てますとね。
割り出し方はある程度予想がついている。
逆にそれだけで今日起こることなど決まらないということも分かっている。
でも、あるというだけで、つい気になってしまう。
それで、最近Yahooのトップページは極力見ないようにすることした。ニュースのページから始めるのだ。
仕事運が★一つです。じゃ、今日の商談はやめとこうか、電話しないでおこうか、とかそういうわけにはいかない。やることはやらないと仕方がない。
今日恋愛運★5つです。では今日振られた相手に電話したら好意的な返事が返ってくるのだろうか。多分変わらない。
まして、今日「~座は4位です」とか、だからどうなるの?1位の人の意見が会社で通るとか、宝くじがみんな~座の人に当たるとかそういうことがあるのか。それも多分ないのだ。
恋愛相性山羊座が1位だった。昨日は獅子座だった。では昨日は獅子座の子と寝て今日は山羊座にしようとか、どこの王様の話ですか?
数値化、順位化には実は何のメリットもないのではないか。
占い師は具体的な事象を予測し当てないといけないのだ。
実は、品位の計算にも同じような疑念は感じている。
意味がないとは言わない。
この盤面で水星はー4点だ。それで凶意を持つというのが、具体的に「人の傷つくことをいう」というように判断の結果に反映されて、当たっていると検証されていけば、それでいいのだろう。
しかし、本当にそのー4点ということに具体的な意味が付与できるのだろうか?
もう少しざっくり捕らえていいのではないか?
最初にお断りしておきますが、占星術の一般的なアスペクトについて知りたい方は、Wikipediaとか誰かほかの先生のページをご覧になってください。それから私がいまから書くことは、既に誰かが試していたり、真実が誰かによって明らかになっていることかもしれません。たわごとかもしれないと理解してください。
さて、アスペクトである。
いろいろな人がいろいろに言っている。
私は最初とにかく120度だ、トラインOKと考えてきた。火星が牡牛の29度にある。金星が乙女の1度にある。122度だ。トラインです。OK。
ところが、ホラリーをはじめてから、古典占星術では実はサインが重要だということになってきた。
相性でもそうだ。私、おひつじ座。あなたいて座。トラインね。同じ火のサインね。ではOKである。あとホラリーでは接近のアスペクトのみが意味を持つという制限があるが、分離1度はいいだろうということになっている。
またオーブという概念がある。ぴったり120度でないとだめなのか。ちょっとぐらいずれてもいいだろう。
そこで許容範囲の度数がオーブである。オーブは惑星によって決まっているという。
あるいはホラリーの場合はサインを変わることなく接近していれば0度から30度まであってもいいという。
さて、もし仮におひつじ座の1度に金星があり、射手の1度に火星があった場合、オーブ0度になって、もちろんトラインなのだが、9分割したときには両方牡羊に位置して、合になる。
合は合のまま、オポジションはオポジション、スクエアはスクエアだが、トラインは合になるし、クインカンクスもスクエアになる。ただしそれはオーブ0度の場合だ。金星牡羊3度、火星射手4度だとしたら、9分割では違うサインになるのである。
するとこれはアスペクトという考えが新しい光に照らし出されるのではないか?
多分本当は120度だからどうこうなんてことはあり得ないことなのかもしれない。太陽と月が180度なら満月で、物理的な影響があるけど、金星と火星が120度だからどうだというのだろう。春分点から、理論上、恣意的に区分されたサインの一定の位置にあるからアスペクトなのだ、と考えるとすれば、許容範囲があるということはいったいどれだけの意味があるのだろう?火のサイン同士だからトラインだが、細分割で火と土だからこうなるはずだ、と考えたほうがよさそうではないか?
しかし、これは検証が必要だ。でも、このほうがもっともらしくない?
私は、多分ほかの皆さんに比べれば、いろいろな宗教に触れたり、占星術の知識がある程度あったりしている。多分人生経験もかなりいろいろあると思う。
運命というものに対して硬直した考えを持っているわけでもないし、占いを妄信したりしているわけでもない。ある程度そういうものに対する知識もあるし、それを裏付ける体験もあるのだ。
大体、十把ひとからげに「占い」などというくくりで占星術を扱うのはおかしいでしょ。
いま、その9分割をしてみようということもあり、ほかの目的もあり、自分の年表を作っている。ほかの皆さんにも勧めることがある。思い出すことということはとても重要なことだ。
それで何十年も前の上昇宮の9分割の星座がどう移行したか、検証をする。
そしてそれが逐一その通りであったことに気がつく。
ずっと昔だ。占星術などに傾倒し始めたときには上昇宮の9分割したサインが魚にあるのである。ではそれに先立つ水がめのときはどうだったか。確かに科学的なことに傾倒していた。態度も不遜だったと思う。あそこで私は変わったのだ。
多分8割の人は、拒否反応をしめすんじゃないかな。
ここまで占星術で割り出される内容が自分の人生に一致することが、多分受け入れられないと思う。
いわゆる「ダメ」である。「ダメ」なのだ。
一般的な常識の範疇に、ここまで人間が運命に従っているということは入っていないのである。
当たるかどうかなどという問題ではないのだ。
しかし、もしそれを見てしまったら、結論を出すのは後回しにすべきだと私は思う。だから運命は決まっている、と考える必要もない。占いがでたらめだという必要もないが100%本当だと考える必要もない。ゆっくり探したらいい。答えは徐々に姿を現すだろう。
だがほとんどの人は拒否するだろうな。普通の人の理性にとって、そんなことはあってはいけないことだと思う。実際何人かからはそういう反応を受け取ったこともあるし。
いや~、勉強不足ですよね。
調波も勉強したことないし、インド占星術もぱらぱら見てるだけだし、サビアンもやってないしね・・・
マイクロゾディアック、つまりサイン、細分割は必要なのだ。
しかも理論上必要だと私は思っている。
前にも書いたのですがサビアンをやってみようと思わないのは、360のばらばらの象意を作っても仕方がないと思うんですよ。詩人はそれでもいいかもしれないけど、それなら自分が霊能力を開発したほうがいいんじゃないかと。その360の象意の内的な関連って考えられるのだろうか?
全体を分割してしているのと同じ法則でもって細分割する必要がある。
調波もとりあえず見てみないと仕方がないかもしれないけど、多くの人はアスペクト、惑星に注目している。本当にそれでいいのか?サインで考える必要はないのか?
それで、なんとなく9分割のことをいろいろ考える。
男女関係は関係していると思う。9分割のときに火星と金星が重なったりするような気がする。
これはこれでいいでしょう。しかし、そういう思考の行き着く先は、では40度の倍数(360÷9で、9分割では合になる)のアスペクトに意味があるのか?というようなことになってしまう。
スクエアはスクエアのままだ。
またフィックスドサイン15度の惑星の位置は変わらない。20度はどうなのか?
・・・・しかし、追求の方向としてこれでいいのか。別のアスペクトの種類を作っているだけではないか?
ホラリーで月と惑星が10度のオーブがある。10日後に何か起こると予測する。そしてそれは大概起こるわけだが、そこで3つの分割サインを通過することになる。すると3日ごとにそこに至る過程は変わるのではないか。最初はたとえば蟹的なことがおこり、獅子的なことがおこって、乙女的な3日間の後に出来事がおきるのではないか?しかし、そのためにはそれが起こる経過がはっきりわかる事例を取り上げないといけない。
しかし、あれこれ考えるうちに、実は時間の経過、1日1年法で見たプログレッションのASCの移動が関係しているような気がしてきた。大体3年でひとつ過ぎるわけである。私の人生をここで暴露するのは堪忍してください。
だが、牡牛にあるときに愛情に関することが起こっていなかったか?双子にあるときに旅行や移動のことが起こっていなかったか?蟹にあるときに家庭のことが起こっていなかったか?獅子にある時会社で目立った立場にいなかったか?・・・と考えてみると、確かにそうだったような気がする。
昨日、おそらくご本人にとっては深刻と感じられる2つのコメントを頂戴しました。
最初のご質問、占星術と自分とのかかわりということです。
一言で言うと、素直であるべきだと思います。
素直ということは、自分の中の連想・思考と、先天的な自分というものがはっきり見えていて、連想・思考が先天的な自分を受け入れることができるということ。なんとかしてそういう状態になっておかなければならない。
人生の中で、悲惨な環境を味わったりする。あるいは、恐怖によって小さな嘘をつく。嘘をつくと嘘を隠すためにまた嘘をつく。ずっと嘘が重なってしまう。
あるいは虚栄心、おだてで生きることもできる。非常によく勉強ができる。高学歴で重要な役職につく。周りはそういう人物としてその人に接する。理性の限界に気が付いたときにはもうお爺さんだった。
対象が占星術であって小説であっても漫画であっても心理学であってもいい。自己可愛がり、同じところにいられるという安心感、そういう小さな感情が思考・連想を利用する。
ところがそういう状態とは対極に存在する心理状態が存在します。
素直である、嘘をつかないというのだけれど、怠惰であってはいけない。連想・思考以外に何が自分を突き動かすことができるのか。普通は自分を守るため、自己可愛がりのために使っているエネルギーを向け変えることができる。
人生の奴隷とならないで、人生の主人にならないといけない。
占星術が時間の無駄だと思うなら、しなければいいと思います。別に非難する必要はない。No, thanksといえばいいのです。
いま、恵まれた境遇にある人は、キリスト教徒なら、エルサレムに行ってきたらいい。まだやってないと思うことをやって満足したらいい。
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現実的な問題として術者の側からの問題もある。被術者も様々であり得る。
術者は、多分、いやなことを指摘しないといけない。被術者はそれを隠すこともできる。そこは非常につらい問題があります。
本当は司祭がする告解のように、それを聞くのは司祭だけで、決して漏れないという安心感を被術者に与える必要がある。だが、そんなこと、わかりはしません。誰か、3Tごときインターネットの占いを信用しなくても、これは当たり前です。
外部の人間からつらい過去を指摘される。気持ちのいいものではありません。
思い出すこと、話すことが重要です。
たとえば自分の年表を作ってみること。表を作って何年にどの学校に、どの会社にいた。結婚した。子供ができた。~~幼稚園に入った。そのときであった人はこういう人だった。家族で旅行にいった。喧嘩した。リストラされた。怖いことがあった。全部書き抜いて、部屋を暗くしてその時々のことを思い出すのです。どうなると思います?
そういうことをひっくるめて素直であることではないでしょうかね。多分。
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