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ええっと、これはジブリの「千と千尋の神隠し」で千尋がぶくぶくに太ったカオナシと対決するところで言うセリフです。
これを、すっとセリフでもってこれるのだから芸術家は偉いなあ。
何がいいたいのかというと、占星術をしたときに、たとえばホロスコープを作りますね。第4ハウスがあります。第10ハウスがあります。第4ハウスは家庭や母を、第10ハウスは公の立場、職業、父などを表します。いろいろ解釈はあるけど、ざっとそういうことができます。
占星術師にとってはそういうことなんです。
誰のホロスコープを見ても、お母さんはいるんですよね。お亡くなりになったかもしれませんよ。でもいるのはいますよ。
誰でも必ず第2ハウスがあります。誰でも必ず経済的な問題や所有物や金の問題があります。淡白な人もいるかもしれない。強欲な人もいるかもしれない。でも、必ずあるんだわ。
占星術、あるいは運命学というのは、命そのものですよね。現実社会は、周囲から切り離された個人っていないんだもの。
科学はそう思っていない。一人ひとりを別々のお豆さんのように扱う。
私自身はそういう皆さんに媚びることなく、思うがままを書いています。
ただ、実際にはそういう皆さん方は、理屈云々よりも、目前のこの人生を変えられないのか、と思っておられるわけですよね。そういうご連絡を何度かいただくわけです。
お前、どうなんだ?と言われると、私にそれを答える資格があるかどうか。
私自身が、ものっすごい不幸な状況にあって、占星術によって、ものすごっく幸福になったとかですね・・・そうだったらいいのですが、実際のところは、ほとんどの読者さんより厳しい星回りのような気はしますね。別に神様に不平をいうつもりはない。五体満足だし、教育も知識も授けてくださったのですから。
ただ、非常にざっといって、そういう私が思うに、不幸な運命に対してどうしたらいいかというと、
「不幸な人生を経験しながら幸せである」
ということしか、可能性としてはないのではないでしょうかね。
星で予見された出来事は、まず起こる。これは、占断した私自身がびっくりすることもしばしばあります。
で、それが幸福な出来事とは限らない。そうですね。
そして、それはまず間違いなく起こる。何かしら起こるんだわ。
じゃ、どうしたらいいのか。
ここでは分かりやすく、金の話にしますよ。
たとえば破産する運勢、みたいなのがあったとします。
あんた、破産しますよ、と。
つまり、仮に破産するということが運命的に決まっていても、破産するときにいくら金があるのか、いくら借財があるのか、その後収入があるのか、それは多分決まっていないのです。あるいは変えられる。借財200万で破産する人もいますね。借財2000万で破産する人もいる。借財20億円で破産する人もいる。
ですけど、200万で破産するといっても、数千万の給料をもらえる職もある。雇われてですよ。
じゃ、200万で破産して、翌年3000万ほど稼げばいいのだと思う。多分。
2つのことがあると思う。
ひとつは、可能性を知らないということ。
ほとんどの場合、たとえば200万で破産する人は、2000万ぐらいでは破産しないという人生を知らない。
あるいは、数億の財産を相続しながら、一億までに目減りしたのを苦に自殺した人がいるそうですね。「宵越しの金はもたねえ」という人生が見えないのだと思う。
もうひとつは、信仰というか、信条、意志、天の宝だと思う。
徳を積みつつ、こうなりたいと思う状況を諦めないということ。
多分ね。多分。ものっすごい不幸の翌日に笑ってていけないという決まりはないと思う。
知りうる運命というのは、いわば必ず不完全な形であなたの前に姿を現す。
運命というのは、少なくとも占星術をやっているここでは、占星術で予見された運命としてあなたの前に姿を現す。
占星術、あるいはほかの占い・象徴の体系というものは、近代科学とは違う知識、違う体系なのだ。
占星術は科学ではない。
占星術は統計ではない。
占いが統計だと言っている人は、分かっていないか、嘘を言っている。
最近、本当に多くの人がそういうことを言っている。霊能者風情が、勉強もせずにえらそうなことをいうのはやめてくれ。黙れといいたい。特殊な能力があるならあるでそれはよろしい。だがそれは特殊だというだけだ。算数ができなくていい理由にはならないでしょ?占星術も同じだ。
占星術で使われている象徴、サインとか惑星とかハウスとか、そういうものに最終的な意味を割り当てることはできない。
「これが牡牛座です」「金です」「美です」「価値です」といえるようなものがあるのかというと、実はないのだ。
単に、牡羊座の隣が牡牛座であるに過ぎない。牡羊座が双子座だったら、蟹座が牡牛座なのだ。
もしあなたが牡牛座的な人であれば、あなたにとっての他人、配偶者、彼氏彼女は、多分蠍座的な人になる。必ずそうならざるを得ない。
では蠍座とは何かというと、実は決まっていないのだ。
そうであるにも関わらず、占い師は配偶者がどんな人でどこで出会うのか、まるで知っているかのように言い当てる。
牡牛座が第1ハウスなら、第4ハウスは獅子になる。その人の家庭は、何かしら立派な家、明るい母親であっただろう。なぜ、そんなことが言えるのか?しかし、牡牛座の上昇宮ということはそういうことなのだ。
そして、世の中というのは必ずそういう風にできている。あなたが一人でぽつっと世の中に存在しているということはありえない。
結婚する。ちょうどうまい具合に相手が現れなければ決して結婚できないはずなのである。
殺人事件の記事を見る。一番ないがしろにされるもので重要なものとして、動機がある。なんとなく狂気の殺人って人々は好きなのだ。あいつは悪いやつだ、といってスケープゴートにしていくらでも悪口を言える。世の中にはこんな悪いやつもいる、みたいに考えられるから。
だがそうか?本当にそうか?
女はいなかったのか?心を寄せてくれる人はいなかったのか?被害者が誰かと一緒に加害者をいじめたりしていないか?常識的な人なら、一定の性格の元で長所も欠点も持った人だと想像がつくはずである。
http://pausanias.blog.shinobi.jp/Entry/502/
の前半部分のことである。
人は占いや運命ということを聞いて、
「あっ、じゃあ運命って決まっているのか?」
と考える。まっすぐに、宿命論者になってしまう。
あっというまに神様の視点で物事を見ようとする。
プロセスを忘れているのだ。
本当に「あ、そうかもしれない」と思うのは、たとえばこういうステップを踏むはずだ。つまり、
1. あなたは運命や占いなど信じていない、あるいはまったくそんなことを気にかけてもいない。
2. ところが、誰かよく知った人があなたの運勢を見るとか、よくできた占い師があなたに起こることを予言してそれが当たったというようなことがおこる。
3. これは他人さんがあなたのことを占った場合である。そういうことの結果自分が自分の運命を知ろうとしたとする。
4. そうしてみたら、自分の第7ハウスは乙女で火星があった。まめまめしい、細かいことに気がつく配偶者を求めるが、性急に結婚してしまう傾向があるという結果を得た。27ぐらいのときに刺激するアスペクトができる云々
5. そして言われて振り返ってみれば、なるほどそうだったかもしれない。
ここで、運命についての疑問というのは、そもそも運命を知る手段が実際に存在しているという事実と分けて考えることはできない。
それを知るということが、運命について決定的に重要なことになってくる。
何らかの形でそれを知ることができなければ運命というのは机上の空論なのです。
運命などということは知らないけども、誰かがそんなことを言っている。そういう運命が存在するはずだとか、存在しないはずだ、といっても仕方がない。
そして、その知りうる運命というのは、いわば必ず不完全な形であなたの前に姿を現す。
決定的な出来事
http://pausanias.blog.shinobi.jp/Entry/502/
に対するご意見をいくつかいただきました。
ありがとうございます。
実はちょっと脈絡がなくなるかもしれません。が、どんどんとりあえず書いていきます。まとめる必要があるのなら後でそうすればいい。ひょっとしたら今後も続くかもしれない。
そのとき実はいろいろなことを考えていました。
たとえば、エリシャがなくなる前に、イスラエルの王ヨアシに、シリアに向けて弓を射るように命じる場面があります。
ヨアシは3度矢を射て、それでやめました。
そこで、エリシャはヨアシに対して怒り、
「なぜ3度でやめたのか。5度も6度も射るべきであった。そうすればシリアを滅ぼしつくすことができたであろうに」
といいます。イスラエルはその後シリアに3度勝利します。
あのときにこうした、という決定的な瞬間が人生であるはずだと思ったのです。
では、それを振り返ったときにどうか、
なぜ自分なのかというのをたぶん人は忘れている。
なぜ自分はここにいるのか。
どういう場合でもあっても、いつの間にか私はここにいる。あなたは、といってもいいです。
だが、多分、どこかで自分がこうなった、という瞬間があるはずである。
何か、その後のあなたの感情を決める出来事、その後の行動を左右する出来事、そういうことがあったはずだ。
あなたが今とてつもなく不幸であったとしても、ほとんどの場合、座っていたら上から爆弾を落とされた、というわけではないと思う。
あなたの人生にあなたの意志や願いや希望がまったく反映されなかったということはないはずなのです。
あなたの人生を年表にして、ずっと思い出すのです。
多分、あなたがそれを年表している間に、すぐにあなたは自分の過去の姿と向き合うことになる。
暗い部屋で、いすでも畳でもきちんと座って、順番に人生の出来事を思い出す。
自慢話ばかり思い出す人生はある意味不幸かもしれない。そういうことをいっているのではない。
実はあまり直面したくないような過去、解決すべき問題が記憶の中に眠っている。
それに対して、よしあしの判断をする必要はないと思う。
自分の過去を追体験し、受け入れる。
クリアにする。
反省はしても後悔はしない。
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