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9分割したサインにおいて、プログレッションの上昇宮は、約40年かけてすべてのサインを経験することになる。
自分の人生の場合、そのサインがミュータブルサインである場合に、その時期にいろいろ内面的変化が生じているように思える。
乙女と魚は正反対の場所にある。
一般的に乙女は緻密な作業、計算などを連想させる。魚は芸術、神秘的なもの、あいまいさ、福祉などだ。
人間の精神状態には2つの変化の点がある。思考と沈黙である。魚は沈黙であるように見える。乙女は思考であるように見える。
実際には上昇宮が乙女にあった時期、私はコンピュータプログラムを書いていたと思う・・・今も書いているが、そのときははまっていた。確かにちまちま作業をしていたのだ。
そうしてみると、魚の芸術性、神秘的なものへの傾倒は牡羊の活発さにつながっているように思える。
乙女の作業、思考は天秤の判断につながっているような気がする。
占星術をやっていて、そういうことを考えたことがなかった。
たとえば九星の場合、坎は冬の状態である。坤は田起こしのような状態である。震は芽が出たところである。そういう内的な関連性、流れがある。五行の生刻もある。
占星術で、サインの内的な関連性、流れ、動きについて注目していなかった。というか、そういう材料がなかったと思う。
どうですか?スタティックなものとして把握していませんか?牡羊は牡羊の独立した象意だけにしか注目していないのでは?
というご批判があってしかるべきだと思う。
所詮はあたってなんぼの占星術である。
進行する上昇宮(ASC)ということを前から言っているが、分かりにくいと思う。
1日1年法では、出生時から1日後の天空を1年後と考えてホロスコープを作る。その間天空は一回転するから地平線は時間とともにサイン(星座)を移っていくわけである。だからAstrologiaなどのホロスコープ作成ソフトでASCを計算させると、いろいろなところにASCがある。
しかし、翌日の全く同じ時間のASC、プログレッションでいうなら1年後の同じ時間のASCは、出生図のASCから1度前後ずれた位置にある。この1日後の同じ時間のASCを1年後の上昇宮と考えて、その間スムーズに移動するものと仮定するということである。
ここにサンプルの人を作った。この人は1975年5月5日5時5分東京生まれを仮定している。
この人の生まれたときのASCは牡牛の18度付近にある。今年の運勢を見るときには、35日後の同じ時間でホロスコープを作るか、プログレッションを指定して今年の5月5日5時5分のホロスコープを作ることになる。
すると、ASCは双子の26度過ぎのところにやってきた。この人は元来おうし座的な人、目的意識を持ち、実利を重んじて慎重な方なのだが、現在ふたご座的な人生を送っている、ということになる。
だがさらにそれを9分割する。
風のサインでは風のカーディナルである天秤から3.3333度づつひとつのサインを当てることになる。
20~23.3度が牡羊 23.4~26.6が牡牛、26.7~30が双子ということになる。
するとどうですか?
もし自分のホロスコープを作れる方で、時間のある方はやってごらんなさい。
ASCが牡牛に位置しているこの3年ほどの間、あなたは恋人や配偶者と人生の中で愛をはぐくむ時期ではなかったか?実直にお金や貴金属をためる時期ではなかったか?
それに先立つ3~4年ほどの間、つまり、牡羊にある間、あなたは積極的に何かに挑戦していなかったか。活動的な時期を過ごしていたのではなかったか。
それに先立つ3~4年ほどの間、つまりASCが魚にある間、家族の問題で困ったり、神秘的・ロマンチックなことに傾倒したり、病気になったりしていなかったか。
コメントをいただいて、しかし、別にインド占星術をちゃんと勉強したわけではない。
今からインド占星術を勉強するとすると、サイドリアル方式でまた何人ものホロスコープを解析しなおして、確かにそうだと自分に納得させる時間が要る。今生で無理じゃないか?
細分割が必要だという考えは、理論的なものからきている。
多分70年代ぐらいに、その変の本屋で、数百円の新書で占星術を始めた人にとって、古典占星術など縁のないものだったろうと思う。出されている本はモダンなものばかりだったと思う。私もそうだった。魚の29度と獅子の3度、トラインOKなのだ!
その後、なんとなく東洋の占いについても知った。
そういうこととは別の話として、目の前の世界がある。
意識にとって時間は存在しない。思考が時間を作る。思考は比較によって働く。「あの」時間というのが思考にはあり得るのだ。だが、本当は意識にとって、その意識が生きていようが死んでいようが寝ていようが、必ず今とここしか存在しない。思考が捕らえている「あの」時間は、ある作用によって生じた心理的な残骸に過ぎない。たとえて言うなら、分子が運動するのを直接観察はできないが、タバコの煙を漂わせることによって、煙の粒子が振動しているのを見ることができる。本当の分子の振動ではない。普通の人にとっての世界とは、本当に存在する何かが残す水垢のような残骸に過ぎないのだ。
その、間隙のない世界、時間のない世界に立ち現れてくるものは、私たちの知っている数学を超えた世界だ。世界はいわば踊っているのである。
そこでは水垢の思考を使えないのだから、それを見ている最中に普通の思考の範疇の数学的にそれを捉えることは不可能なのである。だが、その捉えられない世界が無秩序な世界であると考えることは絶対におかしい。にもかかわらず、どうにもそれは捉えようがないのである。
120度に対してオーブが前後5度です!というのは、思考が作った秩序である。それに対して、現実は蟹で獅子で乙女です!という世界であるように見える。
占星術に限らず、独自の象徴体系を持つあらゆる占いは、その未知の数学から来ているべきだと私は思っている。モダンな占星術というのは、それを思考にもっともらしく感じられるように引き下げたものだと思う。
本当は目の前の世界が、ひとつのホロスコープであるべきだし、すべての事象がホロスコープに当てはめられるべきだと思う。それはほかの占術体系でも同じだと思うのだ。
本当はいい占い師っていないんじゃないかな。
占いということをよく考えてみると、誰かがあなたに知りえないことを教えているようにも見えるけれども、本当はあなたの人生の真実はあなたにしかないと私は思う。
終わってみて、ああ、私の人生はこんなだった、と思う時が多分くる。その真実がたかが占い師ごときに分かってたまるものですか。
本当はあなたが神・聖霊に対して開く、という事実しかないと思う。そこで占い師やほかの教師だの指導者だの霊能力者だの、いろいろな人がいるが、その人を通して神はあなたに働きかける。それだけのことだと思う。本当はあなたが直接神と向き合っているのだけれど、エネルギーの変換装置が用意されている、ということだと思う。
しかし、そんなことを言っても実際の助けにはなりませんね。
それで一般的な基準としては、当たるのがいい占いでしょうね。
本当か?当たるのがいい占いだろうか?
もし、すばらしい占い師・霊能者であって、その人のことが手に取るように分かってしまったとする。分かれば分かるほど真実を伝えるのは難しくなる。真実は多くの人にとって、一番聞きたくないことだから。
だから最終的には、問題は被術者が素直で真実を受け取れるかどうかであって、占い師が何をいうかではないと私は思う。で、占いをする側としては、少なくとも当てなければならないと思う。嫌がられるだろうとは思うが、嘘や耳障りのいい言葉を聴きたいなら、別に占いに頼る必要はないのである。
そして占いを素直に受け取れる人も、それはそれで実は多分占いに頼らなくても乗り切ることはできるのである。多分。
ただ、被術者の判断の基準として、あたってるかどうかしかないと私は思うのだ。
頭の中は混乱したままだ。猛暑で体も疲れているのかもしれない。
涼しくはなった。ブログを書こう。
生ごみをそのまま捨てると蛆がわいて大変なので、最近はベランダに新聞を引いてコーヒーの粉やお茶の葉は干してから捨てることにしている。どうせ大した生ごみはない。たまねぎの切れっ端、えのきの根、卵の殻、ピーマンのへたetcぐらいだ。
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さて、知恵袋などを見ていると、やれ未解決事件が占いや霊能力で解決できないか、やれ占いだの霊能だのヒーリングだのといかがわしいものが流行っているのか、と占いの価値を問う質問がひっきりなしに出てくる。
こんなサイトをしてるから、まじめに占いの効用を訴えるのが多分正しいのだろう。
しかし、だ。
私は若いころ真理を求めていろいろやった。ギリシャの修道院に行った。
そこはそれなりにすごいところです。
修道院でなくても、ギリシャ人の場合は、普通の人が教会に行って、所謂告白みたいなことだけではなく、いろいろなことを相談したりして、それなりに頼られている。そこは日本ではもうあまり見られない光景だ。若者たちも修道院には行っている。
だが、いまギリシャは財政難だ。あの修道院の経費はいったい誰がどこでどう負担しているのだろうか。
有名な寺社の維持管理費用。本来お布施でまかなわれるべきものだろう。つまり信徒が出すのである。
ところが現在少なからぬ寺社が、重要文化財としてのお金を管理運営に宛てているはずである。言い換えれば税金である。税金でまかなわれていると言うことは、寺が勝手に変えてはいかんということだ。その分寺社の教えの自主性は小さくなっているはずである。出家は屋根の下に住まうなと決めたお釈迦様がご覧になったらなんと仰るだろう?
夫婦仲がよくないとする。
地域社会が崩壊してしまった。近所に誰でも頼れる長老さんがいて相談できるということはない。
行政に相談できるところがなくはない。しかし、それは縦割りで何でも相談できると言うわけではない。
裁判所。裁判所が一番ひどいね、多分。夫婦関係の解決というのは、裁判所にとっては、要するに離婚するかどうかだ。そしてそこで要求される金は数十万円の単位なのである。
ま、裁判や調停まで起こさないで法律相談だとしましょう。30分5000円ですよ。
それで解決すればいいですよ。どうですか。解決しますか。
社会が認める裁判所・警察・病院といった公の仕組みや既存の宗教団体で、ものごとが解決できなくなってきていると思う。
また予算的なものでその仕組みが立ち行かなくなると言うことも起こっている。病院で高齢者がまかないきれず、介護保険が導入されたのがいい例だろう。
そうするとどうなるかというと、自衛しなければならなくなる。
武装も一つだと思う。実際総合警備やSECOMのような会社は伸びているのである。
すると、今後占いで未解決事件を解決するということも実際起こってくると思う。
占い、結婚産業、警備会社、こうしたものは必要に駆られて出てきている産業なのだ。
占いが馬鹿馬鹿しいとか、金の亡者だという人は、ほんもののハゲタカやサメと戦ったことがない人だと思うのだ。
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