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ここ数年自分でもいろいろな経験をした。
たまたま、こういう殺人事件のサイトも作った。殺人事件のサイトではない、占星術なのだけど、殺人を題材の一つにしてしまったからそういう記事に目を通します。
よくニュースのコメントなどで
「こんなやつは死刑だ」
と書き込む人がいる。死刑に賛成している人も多い。
だが、死刑というのは、要するに私がその人を殺す必要があって、国家なり法律という枠組みの中で、誰かに代わりに殺してもらっている、ということである。
だから殺すことを是としている点で、殺人を直接する人も、死刑に賛成する人も、基本的な違いはない。
違う点は、誰を殺してもいいか、誰が判断してもいいか、という点だけである。
死刑に賛成するというのはソクラテスの考えである。国がそう決めている。自分は無実だけど、国が決めた法律だから、毒薬は飲みましょう、と彼は言った。国家の秩序に対して無条件に信頼するから、死刑はいいけど殺人はダメだということになる。
だが、判断基準が国の決めた仕組みに入りきらなかったらどうか。
どうしても納得できない場合。国の役人、警察や公務員や裁判所、あるいは資格をもっている弁護士や医師のような人、こういう有力者、権力者が明らかに不正をしている場合。
で、2100年までの間に、この秩序は確実に崩れるだろうと思う。
いま、みんな少しずつ既存権力を信用しなくなってきている。学校もそうだし保険、病院、警察、裁判所、あらゆることについてそういう傾向がある。
阿久根市の竹原前市長のような人が支持される。生き死にの問題ではないけれど、多少法律や規則は無視しても住民の生活を重視するということを第一に考える。地域の皆さんは法律通り、国の言う通りやっていると破綻してしまうのだから、規則から外れても飯を食わしてくれるリーダーに従うようになると思う。
そういう風になってくると、何が殺人事件なのか、という判断も変わってくると思う。
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