[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
占星術に心霊写真は普通関係ないですわね。
なんで、心霊写真でしょう。
しかし、世間の皆さん方は、占星術、占い、オカルト、心霊現象十把ひとからげで、どうしてもなんか視野に入って来てしまうんですよね。
私は霊能者ではありませんが、占星術にだって様々な前提がある。
まず、科学が正しいとしましょう。
すると、写真と言うのは、特殊な塗料を塗った紙が光による化学反応で模様が浮き出たもの、ですよね。
でも、私たちはそのただの紙切れを見て、昔を思い出したり、写った人への思いを募らせたりします。
科学的な観点からすれば、紙切れそれ自体には意味はなく、私たちが主観的に意味を与えているのです。
写真を見て、顔らしいものが写っていた。それは光のしみだ、いや顔だというわけですが、ちゃんと写った顔だって光のしみであることには変わりありません。
どこかの断崖絶壁で身投げした人がいて、写真を撮ったら単なる光のしみが映りました。でも100人中80人が怖いと感じました、とします。じゃ、心霊写真でいいんじゃないですか。科学的にみて、なんのうそがあるでしょう?
では、いったい心霊写真とはなんでしょう?
やはり思うに、アストラル体的な、あちら側的な、思念が残っていて生きている人を構成するアストラル体的なものに対して働きかけをする、ということが重要です。無念さ、悲しみ、苦しみ、そうしたものが残っていて、時と空間を越えてみている人に取り付くのです。
だから、別に無視できれば無視すればいい。ご聖水をかけてなんとかできればそれでもいいでしょう。
私はキリスト教の言葉しか知らないから、この世を構成するものを神の言葉といいます。エネルギーと言ったり、オームといったり、マーヤといったり、いろいろな言い方があるのかもしれません。ものじゃない。生きたものです。
一般に霊能者と言われている人でも、多分世界がものではないという前提がないのだと思う。だから、霊があるかないか、というような議論になる。何か不思議な、普通の人が見ることができないなにかを見ても、それを「もの」として受け取る。具体的なものとして解釈してしまうのだと思う。
私は幽霊を見ない霊能者がいてもいいと思う。
お釈迦様も、霊が存在するから転生するとは仰らなかった。依存するものがあるから、生まれ変わるのであるとだけ仰った。
世界が生きたものであるので、そこにはエネルギーが残り得る。怨念、恐怖、のろいです。日本ではわら人形が使われるけれども、西洋・オリエントでは蝋人形ですよね。その中には、相手の髪の毛だとか体液だとか、とにかくアストラル体的に相手につなげられるものを入れるのがいい。そして、相手が意識が肉体から離れやすい夜半に、それに苦痛を与えるのです。
それらは占術と関係ないように見えるかもしれないけれども、そうでもない。
東洋の占術では、恨まれている、生霊の難があるという盤面がある。多分ホロスコープでも土星や天王星、冥王星などが関係するのだろうと思う。多分、これは心霊写真か?というホラリーを作ればそれなりの結果が出ると思うのです。
実際殺人事件のホロスコープで被害者は圧倒的に天王星です。また詳しくは知りませんが、蝋人形を作るときには、相手を表す星と土星が重なるときがいい、という決まりごとがあるらしい。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |