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よく大学などの偉い先生が沖縄のユタや東北のイタコのことを指して、カウンセラーという。
ある人が何かに苦しんでいるとする。
多くの場合、たとえば離婚問題のような問題が典型的だろう。
どちらがどうなのか。何が原因なのか。どういう事実が存在するのか。
そして、その事実と言うのは、様々に存在し得る。
たとえば法律だとする。
法律が問題にできる事実がある。
つまり、他の異性との恒常的な肉体関係があったかどうか、同居していくことができないような病気があるのか、暴力を振るうのか、性生活の異常、たとえば性生活の完全拒否があるか、などである。
そういうことがなく、一方が離婚を容認しなければ、夫婦の離婚は成立しない。また、浮気をしたほう、暴力を振るったほうが法律上は例外なく悪い。
或いはうわさ・ゴシップの事実が存在する。
「あそこ、旦那さんが酒飲みだったんだよ」
という類である。多くの人が、法律ではないけれども短絡的に判断できる事実でもって、すべてを決め付けてしまう、というようなものである。
ところが当事者にとってはそういう問題ではないのである。そこに至るまで、様々なやりとり、苦しみ、すれ違いやりきれない思いなどがあるのである。
暴力を振るった、殺人をした、自殺をした、そこまでいってしまうと、普通は例外なくその人たちが悪い人だったということになる。
江戸時代には切り捨てごめんといって、武士は無礼な町人を切り捨ててもとがめられなかった。大きな事件があれば、武士は切腹しなければならなかった。いまでいうなら、JRの社長は福知山線の事故が起こったときに、間違いなく切腹しなければならなかっただろうし、それで世間はあとJRがしっかりやってくれさえすれば、最高責任者が責任を取ったのだからいいだろう、という考え方をした。
暴力や殺人、自殺よりも、筋を通すことが優先されたのである。江戸時代の事実は違っていた。
夫が暴力を振るう、その際に、妻にも何か原因があるかもしれない。しかし、現代の法律はそれを問題にすることはできない。江戸時代は逆だったと思う。そこには、本当はどちらが正しい、という以上の問題が隠されている。
カウンセラーというのは、確かにそういう部分を問題にし、そこに切り込んでいくのである。
しかし、ユタやイタコや占い師がカウンセラーである、イコールである、と言ってしまうのは問題がある。
なぜなら、カウンセラーは占い師がそうであるように、何も聞く前に相談者の立場に飛び込むという技術がないはずだからである。
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