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世間一般の人の見方というものは、占星術を信じる、信じない、云々ではあるが、占星術の世界に入ってしまうと、実に様々な占星術が存在している。
人によって、西洋占星術とインド占星術は違うという人もいる。
現代占星術、古典占星術、さまざまなことが言われている。
私自身はこう思っている。
神は、とても法則が少なくてすむ。
神・父の御意志は必ず実現する。
聖霊の意志は父のご意志そのままであって、生命そのものである。
子の意志は従順そのものであるが、神・子には生まれるということがある。
世界には多くの法則が働いており、真実は隠されてしまっている。
しかし、星は比較的少ない法則性の世界を表している。単純な、2、3、4、7とか12とかの法則に世界は収まるべきなのである。無限に多くの種類の人間など存在しない。元素において周期表が発見されたように、人間も一定の規則に納まるべきだと私は思っている。
したがって、占星術師は12なら12のシンボルをフルに使ってこの世に当てはめて、この世の事象を解釈したり予測したりすべきである。
そのためには、ハウスとサインを大事にしなければならない。
アスペクトがそれに彩を添えており、私も先達の発見した法則を生かして判断を行っていくが、アスペクトだけではここのサイトで行っているような未解決事件の犯人象を浮かび上がらせるというような占断を行うことはできないのである。
世の中の占星術師の皆さんはサビアンというやり方をされているようである。
サビアンというのは、360度それぞれに意味を割り当てるやり方である。何でも霊能者にそれぞれの意味を簡潔な言葉で表せるように見てもらったそうである。
それは、正しいかもしれないし、意味があるのかもしれないが、私は当面やらない。
360のシンボルをそれ以上深めることはできないように思えるのである。たとえば、一応詩的な言葉でふたご座の1度と2度が定義されていたとしても、ではその1度と2度の色の違いは何か、体の部位に当てはめた場合どこか、場所ではどこを象徴するか、天候は何を象徴するか、というような意味を割り当てていくことは不可能に近いように思えるのである。360が易のように八卦から派生したようなものであればいいかもしれない。12と何かを掛け合わせて、インドのナバムシャか東洋の九星のように細かい単位に割り当てるというのならわかる。
しかし、サビアンにそういう内容があると確認することはできていない。
変な話だが、占星術そのものには意味がないといってもいいかもしれない。あなたは3日目に不幸が起こるでしょうと告げたとする。しかし、告げようが告げまいが、起こるものは起こるのである。私たちは運命を受けてたたなければ仕方がないし、神はきっと私たちのためにいいことを考えていてくださる。
にもかかわらず占星術があるのは、その法則性の理解のため、人間の高慢を戒めるため、高次のものに自分を開かせるものであるべきだ。そのためには、占星術は単純でなければならない。
そういう意味で、私は最終的には東洋の占術も西洋の占術もインドもアラビアも最終的には1つのものに帰するべきだと思っている。
そういうことなので、私は自分の全力で判断するようにするので、あれこれができなかったとしてもご容赦いただきたい。
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