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ホラリーは、今のときだけで起こっているすべての事象を占おうとする。
時が鍵を握っている。
物理学は時間を間隙のあるものとして扱う
あった。そうだった。そのような判断が行われる。それが知ることである。知られたことは過去のことである。目の前のものを知ることはできない。
なにかをしたい。得たい。そうなるだろう。それが未来である。希望であり予測である。
が、事実は今しかない。
意識の認識できる時間は過去も未来もないはずである。
われわれがそうだった、と思ったところで、そうだった!という過去は実は存在しない。
そうだろう、という未来も存在しない。
そうなるだろう、と思ったところで、決してわれわれの心が未来に届いているということはない。
記憶は存在するが、そうだったという過去は存在しない。過去とは判断の生み出すものである。
何かが確認できた、という。
それは、現時点のあるものが何かに変換された姿があって、それがそれを認める人々の確認ができるレベルの物質だということだ。たとえば、テストを行う。ちゃんと動いたと確認できる。それはちゃんと動いたという紙に書かれた報告書が上がっているから、それが正しいと確認できるということである。
心理的なレベルでもそうなのである。
意識が今である。世界が今である。
しかし、今しかないといっても、それがかまぼこのスライスの断面のようなものであれば、その時間は経過するはずがない。
だから、今はスライスでも断面でもないはずである。今目の前の時に全く厚みがなければ、時は経過しない。
西洋の時計は時を厚みのないものとして扱う。12:00は12:00である。12:00というときはない。12:00の前か12:00を過ぎたかどちらかである。
一方、東洋の暦は時を幅のあるものとして扱う。午の刻だという。午は12:00である。しかし、いま、午の刻である。お昼だから、午の刻なのだ。それは東洋の暦にとってOKなのである。
目の前の時は牡羊である。牡羊であるということは、射手が楽しみだということである。牡羊の時の中には、射手は内的な関連をもって実現している。様々な色で織られた織物で、赤の次に青が来て、黄色が来て、また赤がくるように、何もかもまっすぐ赤なわけではない。目の前の時は踊っているのだ。必ず一緒に踊ることによってしか、時を知ることはできないはずである。
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