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ものごとの成り行きについて、誕生日を使わなくても、いつ、どこで何が起こるか、具体的に当てていく方法を実践しています。 殺人事件発生時のホロスコープから被害者の状況や犯人を推定する方法が明らかになりつつあります。
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先日に引き続いてYODの話だが、とても回りまわった話になる。

先日のYODの話
http://pausanias.blog.shinobi.jp/Entry/124/

おとぎ話、民話にはそれを書く簡単な動機というものがあると私は思う。
特に魔法話の場合、何種類かに分かれる。
教訓話の場合。
本当の魔法の話の場合。(めったにないが、たまにある。)
世の中の法則性が寓話にこめられている場合(孫悟空で天上と地上の日数が違うとか、キリストのたとえ話とか)

さて、よく王子様王女様が魔法使いの力にとらわれて、動物にされたりして、運命の相手が現れて結婚を承諾するかキスをするとかで魔法から解かれる話がある。

グリムの金のまりでは、カエルに姿を変えられた王子が登場する。
また、フランスの昔話では、王女がカエルにされてしまうが、糸をつむいだり子犬の世話をしたりといった教養で兄の婚約者たちを負かして末っ子の王子と結ばれ、魔法が解ける。

ディズニーが映画化して有名になった美女と野獣では、王子様が野獣に変えられている。この元ねたはフランスの話である。
ところがこれとそっくりの話がイングランドにあって、イングランドではノルウェーの王子がノルウェーの黒牛に変えられていることになっている。
ではノルウェーにはその話があるのか?アスビョーンセンとモーが収集したノルウェーの民話にそっくりの話があるが、ここで王子が変えられているのはなんと白熊である!きれいじゃないですか。美女と野獣って白熊ですよ。
イングランドでも王女はガラスの山を登って王子を助けに行くが、じゃあイングランドにそんな山があるかというと・・・多分ないのだ。そりゃ、多少厳しい自然はあるかもしれませんよ。でもどちらかといえば厳しいのは南部イングランドの荒涼としたところで、北部はピーターラビットの世界です。
しかし、ノルウェーには氷に覆われ標高の高い厳しい山が結構ある。フィヨルドから上に1500メートル以上切り立ったがけがある。命がけで王子を助けにいく自然環境の厳しさが実感できる土地なのである。
美女と野獣は多分ノルウェー起源の民話だと私は思う。

さてさて、ところでこの魔法にとらわれた王子・王女である。
これって、実際には何を表そうとしたのだろう?

魔法で他の動物に変わるということはあるのかもしれない。中南米に割りとそういう話があるが、それはもっと現実的で醜いものだ。つまり、誰かが犬になって他人の台所に忍び込む。間違って撃ち殺すと、その人はいなくなる。物語でもなんでもない。ハリポタのアニメーガスの本物バージョンである。
美女と野獣の魔法はそういう類の魔法ではない。そういう話じゃないのだ。

それって、現実世界では、このYOD状態の人のことじゃないか、という気がしてきた。こうした物語を作った人は、心理的にそういうことを意識して作ったのじゃないかと。

この魔法にかけているものは何か、これは色々だ。

しかし、占星術をやってみて、色々配偶者や彼氏彼女とトラブルがあって、ある場合には金銭的に大変だったり、ローンがあったり、ある場合には相手が見捨てられない状態だったり、ある場合には親御さんとか別のご家族の状態が大変だったり、かといって手に職がない場合もあったり、お子さんがおいでになったり、持病をお持ちだったり、いろいろなケースがある。そのような皆さん方は、往々にしてにっちもさっちも行かない。逃げられないのだ。なんとか今の状態を切り抜けていくほかない。
ま、仮に離婚するとか、母子家庭になるとか、一般的に世の中であまり結構でない経験をされた方であっても、誰も彼もがどうしようもないというわけではない。自分で切り開いていける状態の人もいるだろう。しかし、よくないとは思いつつ自転車をこぎ続けていないと倒れてしまう人もいる。

そういう皆さん方にとって、魔法をかけられて動物にされ、救いに来てくれる王子様王女様がキスしてくれたら、魔法から解放される・・・って、なんかすごく現実的な問題のような気がしてきた。
 

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YOD星と星が作る角度のをアスペクトと呼び、アスペクトの組み合わさったものを複合アスペクトという。
そうしたもののうちに、YODがある。

神の手だとか、逃れざるくびきなどと言われて言われているが、二つのクインカンクス(150度)と一つのセクスタイル(60度)で出来る複合アスペクトのことである。

クインカンクス(150度)は、凶の意味を持つアスペクトだが、スクエアやオポジションのように逃れようもなくドーンとやってくる凶意ではなく、努力して改善していくような類の凶意である。そのままではよくない。本人はなんとかその状態から逃れようとしているのである。
ところが二つのクインカンクスの間に挟まったセクスタイル(60度)は吉の角度である。何とか変えないといけないものの2つの間に、吉の関係が出来てしまう。ほっこりしてしまうわけである。すると、そのセクスタイルは本人にとって利益のある事柄である。それを変えるとその利益がなくなってしまう。そこで良くはない、なんとか変えようと思うもののどうしても変えられないままその状況に埋もれてしまう。にっちもさっちもいかなくなってしまうのである。
各々の星は、そのハウスやサインをちゃんと見る。YODを構成している星が金星で第5ハウスにあるなら、恋愛問題だろうし、木星で第10ハウスにあるなら、ステータスや職業の問題がそれを構成している。
このYODを解決する鍵は、真ん中の星にある。指の付け根、Y字の下の棒の部分が重要なポイントになるのである。

最近クインカンクス、YOD系統のアスペクトを持つ人を多く見ている。ああ、この人努力したなあとか、この人変えられないだろうなあと、診断するのである。診断はするが、私の場合、ネットの依頼だとご本人様にはあっていない。
外見もご経験も何も知らないのである。あってないから服装も話し方もしらない。わずかな文面、誕生日、そして自分がその質問を見た時間だけしかない。ご本人のことは何もしらないのである。
何も知らないままアスペクトやハウスを出して「エイ、ヤッ、トーッ」と占断する。そしてそれは大体当たるのである。その後「実はにっちもさっちもいかないんです・・・」と事実をお聞きするのである。そして、そのとき初めて、実人生でYODはこう現れると知ることになる。ああ、そうなんですか。

ちょっと待てよ、にっちもさっちもいかないだと?
それって私自身の人生のことじゃないか。う~ん、およそにっちもさっちも行かない人生の中でも、私の人生は代表的「にっちもさっちもいかない人生」なのではないか?

すると、あるのである。改めて見ずともあると分かる。確かにこれはYODだ。
なさけない。易者の身の上知らずだ。
なぜ、気づかなかったのか?
気づいていないわけではないが、YODを構成する星が同時にTスクエアや更に隣接するセクスタイルやトラインを形成している。個別の意味は自分ではおさえているのである。なるほどなあ。困難もいろいろあったかもしれないし、恵まれもしたかもしれない。しかし、確かににっちもさっちもいかない。

悪いことは言わない。一度やはり自分の星はきちんと見ておくべきだ。
今してる苦労はこれだ!と分かるに越したことはない。
同じ人が存在する。

私が言っているのは一人の人が同時に二箇所に存在することではない。
そうではなく、この人とあの人が同じだ、ということである。

話し方がまず同じである。
所作が同じである。
考えること、内的経験が同じである。
それは、外的な経験は違いますよ。もちろん。
にもかかわらず、彼らは同じことを経験している。
顔かたちや身長が違うこともある。話し方が一緒だといっても、言語や方言がまるで違うかもしれない。にもかかわらず、全く同じである。

簡単に言うと同じ性格の人、同じタイプの人である。だが、こちらが恣意的に分類しているのではなく、彼らは同じ人なのである。
そういう例は生きている間に何例か出会う。

実は、私はそういう人に若いころあって、両方のホロスコープを作成することができた。

昔付き合っていた女の子がいて、特徴のある話し方をし、独特の興味を持ち、体験も独特だった。
しかし、その人に会わなくなってから、しばらくしてから、たまたまあった人が、まったく「同じ人」だったのである。

驚愕しますよ、さすがに。

なにもかも同じ人がいるんですもの。もちろん年も違うし出身も違う。どちらも出身は激しい方言のある土地だから、言葉だって一緒であるはずがないのに、しかし全く一緒なんです。
顔も違う。今思えば、多分・・・性格だって違ったかもしれない・・・でも一緒なんだわ。

そこで、その人に誕生日などのデータをもらってホロスコープを作成してみた。
ところが実は何一つ一緒ではなかったのだ。上昇宮も違う。太陽も違う。月も違う。当時すでに上昇宮による外見の判断は大方心得ていた。だから何か一致するだろうと思ったのである。何一つ一致しない。

その後人生の経験で、そういうことはあるようだと知った。人から同じような話を聴いたこともある。アメリカ人と日本人でまったく違うのに、「同じ人」であるという例も聞いた。

いま星占いのソフトがある。重ねてみると、多少星のあるサインが共通のものが多いような気はする。
しかし、絶対にこれが一緒だというものは何もない。同じとはいえない。
だから占星術がでたらめだったということもない。それはそれで真実を含んでいる。疑いをもって検証して、やはり占星術が結果裏切ったということはなかったと思う。
にもかかわらず、そういうことはあるのである。

ホラリーは、今のときだけで起こっているすべての事象を占おうとする。
時が鍵を握っている。

物理学は時間を間隙のあるものとして扱う

あった。そうだった。そのような判断が行われる。それが知ることである。知られたことは過去のことである。目の前のものを知ることはできない。
なにかをしたい。得たい。そうなるだろう。それが未来である。希望であり予測である。
time

が、事実は今しかない。
意識の認識できる時間は過去も未来もないはずである。
われわれがそうだった、と思ったところで、そうだった!という過去は実は存在しない。
そうだろう、という未来も存在しない。
そうなるだろう、と思ったところで、決してわれわれの心が未来に届いているということはない。
記憶は存在するが、そうだったという過去は存在しない。過去とは判断の生み出すものである。

何かが確認できた、という。
それは、現時点のあるものが何かに変換された姿があって、それがそれを認める人々の確認ができるレベルの物質だということだ。たとえば、テストを行う。ちゃんと動いたと確認できる。それはちゃんと動いたという紙に書かれた報告書が上がっているから、それが正しいと確認できるということである。
心理的なレベルでもそうなのである。


意識が今である。世界が今である。

しかし、今しかないといっても、それがかまぼこのスライスの断面のようなものであれば、その時間は経過するはずがない。
だから、今はスライスでも断面でもないはずである。今目の前の時に全く厚みがなければ、時は経過しない。

西洋の時計は時を厚みのないものとして扱う。12:00は12:00である。12:00というときはない。12:00の前か12:00を過ぎたかどちらかである。
一方、東洋の暦は時を幅のあるものとして扱う。午の刻だという。午は12:00である。しかし、いま、午の刻である。お昼だから、午の刻なのだ。それは東洋の暦にとってOKなのである。
目の前の時は牡羊である。牡羊であるということは、射手が楽しみだということである。牡羊の時の中には、射手は内的な関連をもって実現している。様々な色で織られた織物で、赤の次に青が来て、黄色が来て、また赤がくるように、何もかもまっすぐ赤なわけではない。目の前の時は踊っているのだ。必ず一緒に踊ることによってしか、時を知ることはできないはずである。

占いは一面でシンプルであるほうがいい。
ある意味シンプルであればあるほどいい。

出生図からホロスコープを解析する。
すると実にいろいろなことが読み取れる。プログレッション、トランジットなども含めれば、また相性ということでおふたり、三人のホロスコープを見ると、どれがどう重なっていると分かる。実にさまざまなことが分かる。これは他の推名学などでも一緒だと思います。

ただしこれはとても大変です。盤をつくり、惑星の角度を選出し、各サインやハウスの意味を吟味しなければならない。今コンピュータがあるから計算はだいぶ楽になった。しかし、それでもいくつかの盤から意味のあるものを読み取ることは難しい。


そもそも、すべて決定しなければならないこと、決めなければならないことは、限られた材料と時間のなかで決めるほかはありません。
たとえば議会です。ある法案や条例案を審議する。すべての住民の条件、すべての地理的条件、すべての経済的な動向を勘案して、最善の策をとりたい。しかし、実際にはそんなことは不可能で、会期もあるし、同意してほしい議員さんに案をご納得いただくのも、時間がかかる。
あるいは警察や裁判所の取調べがそうです。彼らとて給料をもらって仕事をしています。時効や手続き上の制限もあります。いったん、彼らの手続きのレールの上に載ってしまえば、もうその手続きの上で進めるしかありません。制限速度60kmの道を70kmで走っていてあなたは捕まってしまった。取調べを受けている最中に、100kmで通り過ぎる車があったとしても、いまあなたの取調べをしているのに100kmの車を追いかけるわけにはいかないこともある。

人間の頭ですべての状況を勘案して、決断を下すということは、理性的、機械的な判断だけではおそらく無理なのです。

すると単純であるということが重要になってくる。
一枚の盤でさっとすべてを見渡せたほうがいい。そしてその単純な盤で、問題の核心をつくことが重要です。
いまの状況では、子供さんがいて、明日の弁当を何にしようか悩んでいて、塾の支払いのことを気にしていて、パート先で隣にいるいやなオバサンのことを考えていて、と山ほど悩むことはある。しかし、誰も明日の弁当を何にしようか占い師に頼もうとは思わない。本当に大事なことはご主人のワイシャツに口紅がついていることではないか…

そういう意味で、ホラリーやイベントチャートは一枚のホロスコープなのでとても単純です。そして、なぜか分からないけれども、そこでたとえば彼の表示星と出る星は、出生図中でも関係した星が出てくるのです。

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