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コメントをいただいて、しかし、別にインド占星術をちゃんと勉強したわけではない。
今からインド占星術を勉強するとすると、サイドリアル方式でまた何人ものホロスコープを解析しなおして、確かにそうだと自分に納得させる時間が要る。今生で無理じゃないか?
細分割が必要だという考えは、理論的なものからきている。
多分70年代ぐらいに、その変の本屋で、数百円の新書で占星術を始めた人にとって、古典占星術など縁のないものだったろうと思う。出されている本はモダンなものばかりだったと思う。私もそうだった。魚の29度と獅子の3度、トラインOKなのだ!
その後、なんとなく東洋の占いについても知った。
そういうこととは別の話として、目の前の世界がある。
意識にとって時間は存在しない。思考が時間を作る。思考は比較によって働く。「あの」時間というのが思考にはあり得るのだ。だが、本当は意識にとって、その意識が生きていようが死んでいようが寝ていようが、必ず今とここしか存在しない。思考が捕らえている「あの」時間は、ある作用によって生じた心理的な残骸に過ぎない。たとえて言うなら、分子が運動するのを直接観察はできないが、タバコの煙を漂わせることによって、煙の粒子が振動しているのを見ることができる。本当の分子の振動ではない。普通の人にとっての世界とは、本当に存在する何かが残す水垢のような残骸に過ぎないのだ。
その、間隙のない世界、時間のない世界に立ち現れてくるものは、私たちの知っている数学を超えた世界だ。世界はいわば踊っているのである。
そこでは水垢の思考を使えないのだから、それを見ている最中に普通の思考の範疇の数学的にそれを捉えることは不可能なのである。だが、その捉えられない世界が無秩序な世界であると考えることは絶対におかしい。にもかかわらず、どうにもそれは捉えようがないのである。
120度に対してオーブが前後5度です!というのは、思考が作った秩序である。それに対して、現実は蟹で獅子で乙女です!という世界であるように見える。
占星術に限らず、独自の象徴体系を持つあらゆる占いは、その未知の数学から来ているべきだと私は思っている。モダンな占星術というのは、それを思考にもっともらしく感じられるように引き下げたものだと思う。
本当は目の前の世界が、ひとつのホロスコープであるべきだし、すべての事象がホロスコープに当てはめられるべきだと思う。それはほかの占術体系でも同じだと思うのだ。
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