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-- 覚書 --
大きな災害に遭う人、誰でも合うわけだが、今回のような、また予期されるような、災害に遭う人を考える。
その人の出生図中にはそれが示されている。
災害の起こった日にちのホロスコープはそれとは別に存在する。ホラリーやマンデンといわれるやり方でみる、現在の天空である。
現在天王星は雄羊にあり、地震や大きな災害が起こった。
60年代、70年代に生まれた人の天王星は乙女だとか天秤だとかにある。
一年一日法、プログレッションで見ている、その人の30歳、40歳は、実際には誕生日から30日後、40日後の天空である。天王星はまだ乙女だとか天秤にある。そして、その人が災害に遭うときには、天王星が太陽や月やASCと顕著なアスペクトがある。占星術師が見るときには、天王星が乙女なら乙女にあるものとして、それを占断する。新興住宅の崩壊とみるのか、首をくくると見るのかわからないが、雄羊ではなく乙女としてみるしかない。
これ、どういうことだろう?
いま眺める天空にはその40年前の配置はすでに存在していない。
にも拘らず、そこで形成された月と天王星のアスペクトがその人の遭難を予言し、そして今の天空で示される災害と一致する、ということなのだ。
つまり、それは私の中にある何かなのだ。
どういったらいいのか。
川はまっすぐに流せば、ゴウゴウと下流に向かって流れるが、洲の周りには渦ができる。生命の周りには何かの痕跡ができて、別の法則でもって、それは動き出す。
そして、死ねば、プログレッションは存在しない。川の渦はなくなってしまって別の法則は終わる。
そういう別の法則、私に刻み付けられた、あるいは記憶された何かは、生命の証であると同時に、災難に合わせるものでもある。だが、それによって予期される結果は、その人の自由さ・・・外面的な自由さではなく、法則的な、一般の人生から言えばかなりの自由さ・・・によって、当然変わるはずのものなのである。
一般の人生から言えばかなりの自由さ、というのは、だって、今の天空自体は人間は変えられないじゃないか。地震そのものは止められないし、原発の爆発だって、少なくとも一人じゃ止められない。少なくとも一人じゃ止められないということは止められないということだ。
そして、そのかなりな自由というものが、存在する・・・いいわ、そんなの。そういうのを説明するのは、また別のおおきなことだ。
だが自由意思も効く、
ここのところがうまく言いたいけど、、。
じゃあ、運命は簡単に変えられるのか、
ということになれば、そう簡単にはいかない、
ということ。
その割合や分野とか、いちがいには言えないし。
ならば災害や不幸に遭うために生まれてくるのか、
不幸な星の下に生まれたら嘆くしかないのか。
そうでもないと思う。
みな生まれながら、宿題というか課題を持って生まれてきており、それに対してどう生きて人間としての器を大きくしていくのか、なのかな、と。
例えば、同じ課題でも、自分を知り努力と工夫を重ねることにより、何年もたてば、結果は違ってくると思われる。
自分の問題点を放置したままなら、土星は、お仕置きをもたらすだろうし、克服してきている人には、成長がもたらされる、みたいな。
でも、後になって暗示というのはすごいと思う。
n天王星□p太陽があり、
地震当日は、n冥王星オポt太陽と、
土星/火星=tMCがタイトに形成されている。
でも、生きてますよ、腹ペコでもなんでも、ね。
情報ありがとうございます。
そう、そういうことが多分あると思う。
コメントとしてはやはり「変えられる」の部分ですか。
具体的に言うと
思い出すこと、感情の整理のようなこと。
奇跡を起こす力。そういう何か。
人間は独立して生きていない。大きな川の流れの中の渦のようなもので、死ぬことが定められている。
自分の中のエネルギーの向きを向け変えることができれば、多分運命は変わるのだと思います。そのためには、澱(おり)、水垢のようなものを洗い流さなくてはならない。多分。
その鍵は記憶・思い出すということにあるように思う。
について、ずっと考えていました。
たしかにそうなんですよね。
それを深く掘り下げると、背負った課題の意味を思い出す、につながり、何のためにそれを自分で選んだのかも、、。
澱を洗い流す、思い込みや自分で制限してしまっているもの、マイナスのカルマなんか、でしょうか。また別の角度から考えると、前世療法みたいな感じなのかもしれないなあ、と思ったりしました。
ところで先程また余震あり震度4、揺れました。
一瞬「またか」から「まさか」と思いました。
津波注意報も出ました。
外では救急車とヘリの音、あの頃と同じだ、
と悪夢を思い出してしまいました。
はあ、食料調達にいかないと食べるものがない。
ニンジンの葉っぱも昨日味噌汁にして食べちゃったし。近所のスーパーが開店したらしいので、行ってみようと思います。
思い出すということは、判断を交えないで行うことがいい。単に書く。話す。暗いとこにいる。すると目の前に過去の情景が追体験される。事実だけに注目する。思考を引き金にする。すると思いもよらない、過去の気持ちがよみがえる。
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